さようなら昭和の肉弾高校生たち


わたしが高校生だった昭和五十年代後半の国士舘(高校/大学)のイメージは朝鮮学校のそれと大差なかったように思う。
先生のなかには「あすこは特殊な学校だから・・・」というようなニュアンスで語らうひともいたように記憶している。
なので士舘構内で殺人事件が生じたときも「あそこならさういふこともあるであらう」というのが大方の反応であったと思う。
ところで故安岡力也が在学中ハクランを着ていたという噂は本当だったのだろうか。やんごとなきかたたちが学習あそばせる付属高等学校へ進学した友人Sは制服が蛇腹だったため、ときおり巷で「てめぇっ士舘だなコラ」と、爬虫類のやうな顔つきのチンピラ高校生に囲まれることがあって大層迷惑な話だと語っていたので、ハクランなんか着ていたらもっともっと大変だったろうになあと思う。
でも当時の共通認識では彼ら士舘生は最強だと見做されていた。某友人の実家は士舘近所にあって、隣接の駐車場が彼らの格闘場にされていたらしく、とくに新歓シーズンにあたる春の夜半には、「ドスッ」「バシッ」「ガシッ」と、肉と肉、骨と骨がしのぎをけずるがごとき響きが家内にまで伝わってくるものだったらしいが、彼らは戦いがおわると敵味方もなくなり、時にはお互い血まみれの笑顔で肩を組んで帰っていく光景が展開されることもあったというから、それを聞かされたわたしは素直に「漢だなあ」と思うたよ。
現在の士舘は当時の面影なんて微塵も無いらしい。
うちの近所にある私立高校も当時はワルと馬鹿の巣窟であったが現在は六大学(私大)に進学する生徒もいるというのだからつくづくと世の無常を感じさせられる話ではある。