松の内もあけたころの午後9時すぎ、店じまいした商店街を歩いていると一台の日本車が近づいてきた。ウインドを開けながら「あのー」とダーク色系スーツの助手席・青年に呼び止められる。何度か「東京の人間は冷たい」と他県出身の人に云われた事があるので、道をきかれるなどの際はできるだけ軟らかい対応を心がけている。

しかし、その青年が云うには頒布会で売れ残ったブランド腕時計(ペア)をもらってくれないかとのことである。

「会社にもってかえると上司に叱られるし、どこかで換金できたとしても会社の経理上やかましいことになるから、こっそりと廃棄しようかと思っていたのだけれど、それならいっそのこと人様に差し上げようかと思いまして云々」とのこと。これ30万円ですと軽くおっさる。さらに別の(チープ極まりない)化粧箱をあけてネックレスを引っ張り出すと「こちらは奥様に差し上げてください」ときた。その(パチモン)ネックレスも30万円だと云わはる。「ところで......サスガに計60万也の商品になりますのでよろしければ多少いただけませんでしょうか......ハハハ今晩僕と運転手の彼とが飲める位で結構ですので(莞爾)......」と本題を切り出された瞬間、「持金、あ・り・ま・せんのです。デワ。」と慇懃にお断りした。

後日友人とメールのやりとりがあったのでこの顛末を話柄にしたところ、「そのような悪党にカモとして標的にされたということは、気の緩みが外貌にでているのではないか!?」との厳しい返信が来た。

カモ扱いされたことの(なんとも言えない)屈辱感は夙に自分自身が忸怩としていることなのだが、彼の言葉は親身の忠告として真摯に受け止めた。

そんなことよりもしんみりとしたのは、「東京の人間は冷たい」と言われる理由は、斯様なる鷺氏が鵜の目鷹の目で鴨を狙っているという景色がここかしこで鳥瞰されることも要因として大きいに違いないことの、自明の論理に改めて気付いたからだ。親切が自身にあだとなって返ってくれば、江戸の仇を長崎で、いなもとい、江戸の仇を長崎が......?もうなんでもいいけれど終生忘れやしないからねっ! と相成っても文句はいえない。

さらにその直後、いきつけのカフェは隣人のテーブルにて、今流行しているらしい「イラクディナール」の投資話をセールスマンが一所懸命説明しているのに出くわした。

聞かされている男性は世情に明るい人らしくセールスマン氏の云うことを鵜呑みにする気配はなく、氏が(自信たっぷりに)911陰謀説を開陳する段になっても黙って耳を傾けて成熟した対応ぶりをみせていたので、傍から観察していた私は安心していた。

その一方、熱弁をふるっているセールスマン氏の表情、顔つきを拝見しながら、以前、自己啓発プログラム(セミナー系)の老舗として有名な某社の社員と話をした時のことを思い出した。創業者に対する崇敬の念をあらわにしながら「入社したときは誰しも心を裸にされました。私もそうでした。是非あなたにも体験していただきたい!」と語る彼の、謹厳さと恍惚感が混じりあった表情を見て、信仰表明とはこのことなのだなあと深く感じたものだった。



前川佐美雄『植物祭』/『前川佐美雄全集第一巻』(砂子屋書房):
pp.132-133

こころよく笑みてむかふるわれを見て組し易しとひとはおもふか

おのれの弱さを知らずうちしやべりわけのわからぬさびしさにゐる


前川佐美雄全集〈第1巻〉短歌(1)

前川佐美雄全集〈第1巻〉短歌(1)