関西出身のひとに「東京の饂飩なんて食えたもんじゃなかったけど住んでいるうちに慣れました」と云われたことが二度ほどある。そのうちのひとりからは「最初見たときつゆが泥水に思えて口にしたくないほどでした」とまで云われて泥水とは凄いなと思うた。
「慣れました」という言い回しに仕方なく口にすることがあるというニュアンスが認められたのだけど、おれは、東西どちらの饂飩も心からうまいと思って食っている人間なので、彼らよりお得な舌を持っているといえようか。