「外務省に告ぐ/自殺者、幽霊、伏魔殿」

新潮45』2009年一月号:佐藤優「外務省に告ぐ/自殺者、幽霊、伏魔殿」

いままで国家上級公務員になりたいとも、なれるとも思ったことはないが、こういう身分なら是非ともあやかりたいものだと感じた。

「何が出たんですか」
「机の下からヌヌヌーと人が立ち上がってきたんだ。検察官の二人は、噂の幽霊が出たと喉から心臓が飛び出すほどびっくりしたということだ」
「いったいどういうことですか」
「山田さん(仮名)だよ、山田さんが、寝袋に入って、課に住んでいるんだ」
 山田さんは英語を研修したノンキャリアの外交官だ。還暦少し前で、某国の臨時代理大使をつとめたこともある。
 ちょっと変った人なので、緊急事態が起きたときにオペレーションルームとなる部屋の鍵を管理する以外に仕事はない。それでも年収は1000万近くになるだろう。外務省には実質的には仕事がなく、定年待ちで高級を得ているノンキャリア職員が結構いる。

 筆者が夜中に仕事をしたときに感じた人の気配は、山田さんが密かに戻ってきたからだったのだ。(中略)
 朝8時くらいに山田さんは起床し、寝袋をたたんで自分のロッカーに入れる。そして、北口守衛室に行って課の鍵を正式に借りる。それから、北庁舎8階の食堂グリーンハウスに行って、コーヒー、トースト、ゆで玉子、サラダのモーニングサービスを食べながら一日の計画を立てる。今日はどの週刊誌や小説を読むかという読書計画だ。始業時間の9時半には、課の机にすわる。どうせ仕事はなにもない。とりあえず新聞を読む。11時頃には、中央庁舎8階の国際会議場の横にあるソファで昼寝をはじめる。国際会議はめったにないので、この周辺には人が寄りつかない。従って、昼寝をしていても露見しないのである。そして、午後3時頃に課の机に戻ってきて、なにもせずに5時45分の終業まですわっている。

揶揄ではなく、まったく素晴らしい生活だ! と叫びたい。
10年くらいこうした身分が与えられたらどうしよう、想像するだけで楽しいではないか。もうワクワクしどうしだ。
まず、八重洲ブックセンター紀伊國屋書店大手町ビル店、旭屋書店への日参は責務だろう。
銀座までは足をのばそう。惜しむらくは近藤書店。いまではブックファーストがあるが......。

読むとするなら何がいいだろう。それは、「本当に通読したひとは日本に、いや世界に一体何人いるのか」と冠される書物に限る。そしてそれは皆さんの想像におまかせする。

一千万円の年収なら月に20万円ほどは書籍代にしよう。
細君には「個人的な出費だが必要経費! 外務省に勤める人間としての嗜み」だと言い含めよう。でもそれは結構大変そうではあるなあ。

■ ■ ■妄想劇■ ■ ■

細君(女優・高畑淳子似で無類の本嫌い:
「あーた、このラッセルとかいう、記号だらけの分厚い本、ほんとうに必要なんですの?」
儂:「英国大使の***氏、あれはケンブリヂの数学出でね、ああいう輩には、ワシがこの本を持っていて索引位は目を通したことがある程度のことをかましとかないとならんのだよ。インテリジェンスだよ、インテリジェンス」

細君:「あーた、夏目漱石全集を、なんで全巻一揃いお買いにならなくてはなりませんの?図書館にいけばいくらでも読めるでしょうに」
儂:「米国・元上院議員の+++氏、かれはエリセエヱフの孫弟子なんだよ。日本人が漱石を持ってなくてどうするんだね、まったく......インテリジェンスだよ、インテリジェンス」

細君:「ちょっとあーたっ!! この薄っぺらな俳句の本が、なんで百万円もするんですのっっ!!」
儂:「ん? あー、永田耕衣棟方志功『猫の足』か......これはねぇ......ボクにとっての漫画代わりなんだよ」*1

*1:廃刊された文藝春秋社『ノーサイド』(’95年5月号「読書名人伝」)によると、詩人・鷲巣繁男は、自宅に置いていた川上澄生集を誰かに見つけられ、「それはボクの漫画代わりなんだよ」と照れくさそうに語ったそうだ。