汝ら、明後日の方向へ御飯粒を噴き給へ

INU 『メシ喰うな!』を聴いて町田町蔵を凄ぇと感じたのは、「おっさんとおばはん」であった。はじめの2曲はむしろ北田昌広のギターが凄ぇーと思っていた。

「おっさんとおばはん」の何にハッとしたかというと、途中挿入されるおっさんのモノローグであった。

そんなんいうてもな兄ぃちゃん 儂、何も悪いことしてへんねんぞ こない見えてもな 嬶や子供にばっちり買うたん*1 かはははは おまえらと一緒にすな此のタニシ

たしか昭和57年当時は、カタカナやアルファベットが一層市中に瀰漫し始める時代様相にあり、若者が求めていたのは、たとえば、御飯のような粘性のものではなく、パンのような乾いた感覚であったと記憶する。そう、御飯ではなくパンだったのである。タイムマシンに乗って再会する薄ら莫迦の16歳>俺はこうのたまうだろう……
「だってパンは清潔に感じるしデッサンの制作なんかの道具ともなり得る。対する御飯は障子貼りや紙工作等に役立つ糊ともなり得るが出来るだけ使用を避けたい気持になる。手がべとべとになって嫌だからね。ダーティハリーホットドッグのパン滓を吹きながら44マグナムぶっ放すからこそ格好いいんであって、それが御飯粒だとどう見えるか、おっさん一寸は考えてみろよ? 『下衆野郎覇吏夷』になっちまうだろう? 飯はめしめしめしめ湿湿湿染染染湿湿湿だけど、麺麭はぱんぱんパンパンパンパンパンと益々ビートが効いて脳裏に Memphis の蒸気船が浮かぶようだぜ!」 
よく分からんが、つまりは日本語は御飯で、カタカナ/アルファベットはパンだと言いたいのか。うむ。確かに俺を含めてそう感ずる若者は多かったに違いない。それだからこそ、片岡義男は御飯ではなくパンみたいな文章を書いたのだろう。村上春樹然りだ。

然し、その様な状況に対して、「そういう態度ならもう二度と御飯喰うなよ、お前ら!」とイチャモンをつけたくてうずうずして居た野郎共が居たことも想像に難くはないではないか。大阪人・町田町蔵は間違いなくそのひとりであったはずであり、「おっさんとおばはん」のおっさんの返すイチャモンには、そうした彼自身の深い鬱屈と憤りが込められていると解釈してもあながち明後日の方向へ噴く御飯粒とはならぬであらう。
とはいへ「お前ら若造らはとてもイイ気になつてをるが、所詮、田圃で濡らぬらびしやびしやしてゐる田螺の如き存在に過ぎぬのだ」と切り込む刃はそのまま町蔵自身にも返つてくるのが道理である。吾らが若きパンク侍は、「インロウタキン」なる面妖な刀、否、カタカナをふるつて、それを見事に躱してゐるのが天晴れなのであつた。

*1:東京者の俺には斯様に聴こえる。「嬶や子供に」の直後に何か一語あるようにも聴こえるが、わたしの耳では聴取不可能である。もしかすると「嬶や子供に、服、ばっちり買うたん」であろうか。それとも、ひょっとすると「必死のパッチ」のような御当地独特の言い回しなのだろうか……。