私のマルクス 佐藤優
毎回必ず読むべき連載モノがずっとないまま数年経っていた。でも最近、『文學界』の「私のマルクス」佐藤優を楽しみにしている自分がいる。
ご周知の通り、佐藤優氏は、文部科学大臣外務大臣・田中真紀子(だったけ?)ら反外務省派反対路線から、ラスプーチンと渾名され、鈴木宗男とともに糾弾された、外務省でのロシア対策専門家だった人だ。同志社大学で神学を学ばれた方であり、連載中の「私のマルクス」では、浦和高校時代から同志社大学時代の政治活動・知的変遷を回想している。
氏は私よりたった6歳年長である。6歳差が「たった」なのかどうかは思いっきり主観の問題なのだが、「私のマルクス」を読むと、たった6年の差でこれほどまで大学から政治が内臓抜きされてしまっていたのかと、ずいぶんビックリさせられるからである。私の大学生時代、こちら関東でも、Hせい大学とか、W(広末)大学、M大なんかには、プロ活動家が幅を利かせていたようであるが、ゲバルト騒動・内ゲバ殺人なんてほとんど聞いたことなかったし、彼らがヘルメットはずしている時のノリなんて、傍目には、文系サークルのソレとそれほど変わらなかったように記憶している。
私はといえば、新入生のころ、ぜんがく連の運動に不用意に著名した数日後、同じ相手に道でばったり出会い、明確に私の名前を呼びかけられたので、正直言って「怖ぇ〜」と感じたことぐらい。それが、彼ら活動家との関わりの全てだ。
「あ、君、baskov君だったね!これから光州事件のビデオを放映するんだが、一緒に見てみないか」
「(ヤバイ、ちょっとバカのフリしよう)え?甲州スか?オレこれからバイトなんスよね〜」
「(訝しげな表情で)バ・イ・トねぇ。。。君は、なんのバイトしてるわけ」
「あ、もう時間だ。さようなら」
とまあ、こんな塩梅だった。
でも、30年前まで下宿をやっていた自宅には、Y国大の女性活動家がいたことを聞かされてもいたし、家の近所で、かくまるのひとが内ゲバで頭を砕かれて殺された事件などもあったので、オレも大学生になったら、なんらかの形で活動に加わることになるのかもなあ、と、薄い予測をもたらしめる時代的位相にはあったかと思う。なので、「私のマルクス」から受けとめる緊張感と、それから6年後の、あぶく経済期のキャンパス風景は、同じ日本の風景とは思えない違いを感じさせられる。(同志社ではその頃も活動的であったかもしれないが)
まあ、そもそも神学というのは、「政治」をもっとも内在化させた体系だったわけで、妖人・とまべち先生がDebateやっていた時、神学部の先生にカテキズムを学んだと、どこかで述べていた。
あと、たしか、昭和天皇崩御の折、M学院(神学部はないけれど)は一切弔意を表することがなかったので、一部メディアが問題視したという出来事もあったと記憶している。
もう春だというのに、まったく強引だが、最後に寺山修司で......。
秋は神学ピアノのかげに人さらい
- 作者: 佐藤優
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