彼女の名はポーリン、樹の中で生活している。

『No Future - A Sexpistols Film』を観る。
畢生の名曲「Bodies」に登場するポーリン嬢が出演するのではないかと勝手な期待をもっていたが、やはり、出てこなかった。
おそらく今では50歳位の、ポーリン(のモデルとなった女性)が顔を映さずに登場して、「あの頃のことはもう、あんまり思い出したくないわ......」などと言いながら、グルーピーとしての活躍、そして、本当に樹の中で生活をしていたのか、なぜ樹なのか、などについてコメントを寄せる姿が観られたら、自分にとっては一級の作品になっただろう。(まあ、創作上のキャラだったのだろうが)

このビデオは、数々の演奏も収録されてはいるが、音楽を超えて所謂社会現象となった「セックスピストルズ」のドキュメンタリーフィルムであり、当時の英国(+米国)での受容状況やバンドの変遷を知るための作品です。

私は、バンクのヴィジュアル的ファッション要素は、あくまでも副次的なものだと感じているので、正直言って、あと1枚くらいはアルバムを出してから解散して欲しかったと思う。太く短くだったから伝説になったんだという意味のことを言う人もあるが、伝説になる・ならない、などどうでもいい。一曲でもイイ曲を残すコトの方が、伝説として語り継がれるよりも比べられないくらい重要だし、ロットン、ジョーンズのペアは、時勢だけに頼らずとも才能を咲かせることができるアーティストだったと感ずる。

なので、親友だからという理由で、楽器の弾けないシド・ビシャスを加入させたジョン・ロットンの判断は本当によくないものであり、かつ、暴走する新入りを管理できなかった、マルコム・マクラーレンというマネージャーは、マネージャーという意味では間違いなく不適任者であったのだ。能力があったなら、(退廃のシンボルともいえそうな)ナンシー・スパンジェン嬢によってヤク中にされたシドをとりあえず隔離して、ピストルズはシバラク活動休止、その間に、スティーヴ・ジョーンズとロットンとの仲介に走り、再開に際しては、まともなベーシストを加入させ、楽器の弾けない人間は、ヴィジュアル・アイドル系ソロアーティストとして認知してもらう方向に、などと......いやしかしこんなところで、後知恵で考えてもどうしようもない(笑)

あとそうだ、「ろくに楽器のひけない連中がつくった音楽がパンクだ」というステロタイプなもの言いは、ピストルズに関しては、シド・ヴィシャスだけのことじゃないのかね。スティーブ・ジョーンズは、もっと顕彰されてしかるべきギタリストだと、ずっと、中学生の頃から思っているのだが。

結局、もっとも印象深かったのが、ピストルズが一般に受け入れられ、高価な革ジャンなど金にあかせて着飾った姿で上層クラスの連中がギグにやってくるようになったことに対する、ロットンのコメントだった。

"…and then it became acceptable -- absorbed back into the system…the shitstem"

ジョン・ロットンは、幼児のころ大病して、体が曲がり、いじめられっ子だったので、「おれには言葉だけが武器だ」という自覚があったことを語っているが、畢竟そのスタンスがピストルズ(ロットン、ジョーンズ、マトロック)の真髄だったことは明白だ。そこに、長身で、ハンサムでカワイらしく、強面もするクレイジーなお友達を招きいれたことは、まさに「本(もと)をわすれ末を取る」行為だったのである。

ピストルズと蕪村なんて、まさに「水と油」だが、よい言葉なので引用させていただいた。

NO FUTURE?A SEX PISTOLS FILM

NO FUTURE?A SEX PISTOLS FILM