再び「左」「右」+つげ義春

いただいた図書館除籍本
『マンガ研究』(vol.4)、日本マンガ学界(2003.11)
『徹底討議 19世紀の文学・芸術』、平島正郎・菅野昭正・高階秀爾青土社
失われた時を求めて(2) 花咲く乙女たち 』、マルセル・プルースト井上究一郎訳、新潮社
『フィルム・ミュージック 世界映画音楽事典 』、岡俊雄、教育社
『東京の美学−混沌と秩序−』、芦原義信岩波新書
ユーゴスラヴィア現代史』、柴宜弘、岩波新書

うち、『マンガ研究』所収のつげ義春ねじ式」は、いかに英訳掲載されたか」(小野耕世が大変興味深い。当論は、小野氏が、アメリカのファンタグラフィクス(Fantagraphics)社刊行、『The Comics Journal』(TCJ)誌から、つげ義春ねじ式」の転載を求められ、反響を得るまでの顛末をレポートしたものである。

小野氏は、つげ義春との仲介役および校閲役を担った。そして、「ねじ式」が出来うる限りノイズを排してアメリカの知的読者層へ届けられることに随分と苦心されたようである(主に翻訳問題)。しかし、TCJに転載された「ねじ式」は、当誌の版型(左綴)に合わせるべく、なんと逆版(コマを左右反転)で発行されたのである。そして、セリフは、欧米コミクスの慣例どおり、手書き文字だったのだ。

面白いのは、そうした体裁に対して、当地の批評家たちから賛否両論が上がったことである。ちょっとそれらの反応部分を孫引きさせていただく。

ねじ式」が(アメリカ式の)左開きで掲載されたことでちょっと議論があった。左開きが(欧米の読者には)実際的だとの意見が大勢だが、私は画面を反転するのは正しくないという考えの少数派だ。つげのように考え抜いて画面構成している作品の場合はなおさらだろう。さらに細かい点をいえば、英語文字のレタリングに描き文字風のフォント(活字)を使っていることに抵抗を感じる。日本のマンガでは、セリフはアメリカのマンガのように描き文字で記す伝統はない。擬音効果は別として、常に写植文字で記されるのだ。だからこの場合も、描き文字風ではなく、もっといかにも活字っぽい写植を使うべきではなかったか。このマンガ自体は詩的なイメージの集積だと思う。(以下略)

ティム・ヘンズリー(Tim Hensly)

私が(画面の)反転派対非反転派の論争を起こした者だが、別に批判のためではなく、なぜ(原画を)反転したのか知りたかったからだ。個人的には絵は反転すべきでないと思うが、想定される読者は日本のマンガに読み慣れていないから(アメリカ式に)絵を反転(左開きに)したというのは理解できる。しかしあえて言いたいのは、TCJの日本のマンガの掲載のしかたは、皮肉なことに、はるかに商業的なトーキョーポップなどよりも、ほんとうらしさにおいて劣るということだ。
 ただしレタリングにマンガ風のフォント(catoon font)を用いたTCJのやりかたを、私は支持する。日本のマンガに手描き文字の伝統がないというのなら、アメリカのマンガにも写植文字の伝統がないということになる。にもかかわらずECコミクスが(1950年代に)用いた活字文字のレタリングは。西洋の読者に安っぽい(Look tacky)という印象を与えた。ともかく、日本のマンガが写植文字を使うのは、美的配慮というよりも、時間の節約のためではないかと思う。(......)マンガ風のフォントを用いることは、マンガのほんものらしさをほんのわずか損ねるかもしれないが、西洋の読者に対しては「見ばえのよさ」(presentability)をおおいに増すことになる。(以下略)

アダム・ステファニーデス(Adam Stephanides)

TCJ第250号を手にしてから、私は毎晩寝るまえに「ねじ式」を読み返している。(......)シンボルのいくつかは極めて日本的なものだが、その感情は世界的なのだ。
 TCJの掲載に際し、「ねじ式」のページを反転させたのは、よかったと私は思う。英語の雑誌は、すべて左から右へと読むから、途中で逆に読むようにするのは難しい。(途中から反対方向に読む部分があると)読者はまず「ねじ式」の最終ページを目にして、主人公は最後まで死なずに無事だと知ったうえで、雑誌をめくり直して(うしろの)最終ページから改めて読むことになる不都合さは言うまでもない。しかしこのマンガが単行本の作品集に収められる場合は、すべて作者の意図通りにもとのままの形で(反転されることなく)刊行されることには全面的に賛成だ。
 それにしても、これほど卓越したアーティストが、これまで長いあいだ世に知られていないでいるとは信じ難い。なぜこんなことが?つげ義春の作品集の英語版を刊行せよ!というコーラスに私も加わらせてくれ。(以下略)

ジョン・フィリプスン(John Philipson)

アメリカ具眼の士によるこれらレヴューを読むと、なんというか、もどかしくあり、かつ、嬉しくもありといった気持ちになってくるものの、さて我が身?を振り返って、はたして「文化輸入大国日本では、こんなことは論争にならん。常に輸出国の慣例を尊重している」と大声で主張できるのかなと疑問符が......そもそも、中国古典詩を独自の記号を付して日本語に読み下してしまったものを「漢詩」と称しているのだし。

ともあれ、いつも図書館には恩恵をいただいております。ダンケ。

[追記]
必読の書・レイモン・クノー『文體練習』のアイデアをコミックに持ち込んだ、マット・マドン『コミック 文体練習』(国書刊行会)には、“manga”なる一項目がある。眼目は右から左へのコマ移動。

コミック 文体練習

コミック 文体練習

文体練習

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