青鞋
柱頭がしづかに狂ふ美術館
立てておく燃え崩れむとする琴を
について、
「
この二句には、時間の流れの中に、ある臨界点が浮上する様をとらえた妙味を感じます。(......)青鞋は、存在一般が終点に向かうことにユーモアを見出しているかのようにも見えます。それは黒いものでなく、透明な感じです
」
と、感想を述べたのだったが、小泉義之氏の書評文を読んで、青鞋が、天文学的時間と人間的時間を自由に行き来する、超越者の眼をかりていることに大変おそまきながら気づいた。これもキリスト教的というよりは、やはり、禅なのだろうね......。