鴻巣友季子訳『嵐が丘』(新潮文庫)

『考える人』という雑誌で「特集 海外の長篇小説ベスト100」という企画があり、E.ブロンテ「嵐が丘」が上位であるのを見て、そういえば読んでいなかったなぁと思い、図書館で借りようと思ったが先客がおり、暫く待った後の借り本で読了。

その文庫本は随分と汚れていた。あまり本の扱いが上手でない人たちの手を渡ってきたのだろう。やはり若い人中心なのか。ともかく人気のほどをうかがわせた。

(中年男が)今頃読んでみてどうだったかといえば、それなりに楽しめたという愚にもつかない感想にとどまる。

登場人物らの愛憎の嵐がおさまった後における回想を二重の地の文で綴っていることも相俟って、キャサリンヒースクリフの情交の内実がよく分からないところが肝なのだろう。「二人とも人間離れしている」というのが最初から最後まで継続した印象だ。もともとムーアの地霊だったのが、たまさか人間に顕現して暴れたが如く...。その魂魄に翻弄されたなかで最も悲惨だった人間は、ヒースクリフ(ジュニア)だろう。出汁に使われて、ほったらかしにされて死んじゃった...。ヒースクリフ親父による虐待の犠牲者。合掌。

ところで「罵り言葉」。
一般的に翻訳物での罵り言葉(殊に紋切り型)というものには、いつもしっくりとした気持ちになれないことに気がついた。翻訳者の方たちも、大変骨を折られる部分に違いないと思う。

例えば、彼の国でいつから使用されるようになったのかは知らないが“Sick mother fucker!”なんてどうしようもない気がする。そこまでいかずとも“Bitch!”とか“Slut!”とか、あちらだとカジュアルな卑語なんだろうけど、日本語だとほんとうにどうしようもない(いや、どうしようもないのはあちらであって、日本(語)はお上品なのだ)。

そうそう(突然だけど)、どうしようもないと言えば、とくにロックなんかの対訳歌詞はどうしようもない代物だった。アステリスクも殆ど無く、直訳調がわんさかだった(まともに訳する必要などなかったかもしれぬが)。

すごいのになると、Bob Marley「No woman, No cry」のサビを「女いない、泣かない」と訳したものがあったと、どこかで読んだ。

とはいえ、ロックの歌詞の翻訳でも立派な訳業もあるにちがいないので、性急な一般化は慎まなくてはなりません。

話を戻すと、正味な話、「たちんぼめ!」「この尻軽女」「やりマンの倅め」「かあちゃんと番ぉうとれや」「おい、そこの腐れまん*」などというののしりを、たとえ泪橋を渡った長屋に住んでいたとしても一生のうち何度聞く事があるだろうか?この日本で。 「そんなんしょっちゅう聞いてる(言ってる)べ」と言われれば黙るしかないけれど。

うーん、書きながら色々検索して雑学を得ているうちに一体このエントリで何が言いたいのか判らなくなってきた。


すみません。おやすみなさい。