副島種臣展

先日、五島美術館で開催されている「蒼海副島種臣 全心の書」特別展に行ってきた。

文字の方から「勘弁してくれよ」と文句が聞こえそうな悪筆の自分。書道との縁も学生時代に某新聞社書道展にてアルバイトしたことぐらいなのだが、榊莫山『書のこころ』(NHKブックス)で紹介されていた「神非守人 人実守神」(明治初期・40代後半の作品)を一目見て、大変なインパクト受けてしまっていたのだ。その後、石川九楊先生が盛んに種臣を紹介されているのを読み、いつか東京で展覧会が開かれたらなぁと希っていた。それから十年。

蒼海種臣の真蹟に触れて極めて印象的だったのは、(そのほとんどが漢文だったせいかもしれないが)、軸にせよ額にせよ、そこにおさめられた書があたかも星座のように映って見えたことだ。一文字一文字は、(あえて言えば)宇宙のどこかに散らばって局在しているのだけれど、我々の視座からはそれぞれが近傍空間内にあって、一つの姿をかたち作っているという感覚だろうか。そこから、文字自体が活いきと明滅しているかのような錯覚すら覚えてしまった。

さて、「神非守人人実守神」は、白樺派重鎮や谷川徹三のような文人に口を極めて絶賛されていたらしい。神品とまで評されていたそうだが、「空に稲妻が走ったと思いきや、気づけばもともとの白紙にこの書が揮毫されていたのです」などと云う伝承があってもいいかも知れない。実際、署名はあたかも畏まるかのように控えめであり、かつ、その擦れ部分は白光を受けたようにハイライト然として見えるではないか!降りてきた八文字の勢いに「種臣」がなんとか耐え忍んでいる風情である。

この八文字のうち最も残像感あるものはどれであろうか。以前は「非」であったが、いまは最後の「神」である。一体この「神」はなにゆえ草書体なのだろうか。漢書作法に全く無知なのでどなたかにお教え願いたいのだが、もしかして行頭に「人」がある所為だろうか。崇高な神が人の下に置かれざるを得ないので、より象徴的な媒体として草書体を選んだと考えるのも面白い。あるいは、八文字目の神は地に降り立つ神である。ならば決して本来の姿ではなく別の象をとって顕現するはずだ。従ってここは草書体こそがふさわしいのだ、と考えてみるのも面白い。

このようにいつまで眺めていても飽きがこないのです。

ところで読みは、「神 人を守るに非ず 人 実に神を守る」のようだ。私は、もしかすると「人 神を守りて実る」かも知れぬと思っていた......よかった確認できて。

目録の石川九楊解説にはこうある。

(...)「延引・遠心」と「屈縮・求心」の筆蝕曼荼羅こそが、この「文語」さらには、同時期の[神非守人人実守神](図版6)の表現世界である。この「延引・遠心」の筆蝕は、筆速を速めるところ---それは、追いつき、追い越さんとする「焦燥」に発している。おそらくこれらの書の筆蝕は、当時、副島に憑依した「焦燥」のスタイルの露岩である。この時期、副島は速度を速める必要があったと推定できる。

なるほど「憑依」!

一方、出門堂(レプリカ販売元)のパンフレットにある草森紳一氏からの引用には、

(...)この「神非守人」「人實守神」の大幅は、四字二行、計八字だが、「神」「守」「人」は重複している。この条件を処理することは、容易の技でない。「非」「實」のみ一字であるが、いわば「行草雑体」(この区分さえ、さかしらに思えるほど。種臣の造型は、自由である)で、重複の三字など、全く同じ字とは思えないし、全体としてみる時、ひとつひとつ別の字を書いていると人は思うにちがいない。とりわけ「非」という字などは、いつ見ても、とろけてしまう。「非」は「*」「*」を左右に背を向けあうように並べた字だが、その姿形は左右さまをかえたまま躍動し、作為なき児童の字に似ているというより、漫画家が幼児に帰って字に戯れた時の形象に近い。左の「三」などの横棒は、三個の丸い雨の雫玉と化して撥ねあがっている。しかし漫画家の戯れは、あくまで漫画であって、「書」になることはない。戸惑えば、「呵呵」と笑う副島種臣の謎の声がきこえてくるようでもある。

とある。「漫画家」という点に一ひねりあって意味深である。素人目にはこの作品は絵画的には映らないと思うのだけれど。

はなはだベタな感想ではあるが、私の主観では“戯れ”の部分、絵画的、音楽的な要素はその他の作品(扁額に多い)に重点的にあらわれている気がした。。例えば、「帰雲飛雨」(明治十九年)「春日其四句」(明治十六年)......。

ともかくこの先、もし爺さんになるまで生きていたらそのあたりで、また是非とも副島種臣の自運を味わいたいものであります。


書のこころ (NHKライブラリー)

書のこころ (NHKライブラリー)