恩知らずになってはならないよ、おまえら。。。

アメリカよ!あめりかよ! (集英社文庫)

おれたちのノビーから人生において決して小さくない影響を受けた人間が、(記憶にあるかぎり)おれの周囲には二人いた。

ひとりは大学時代の後輩A君だ。
とある日のキャンパスでのこと、「せんぱい、ノビーの『アメリカよ!あめりかよ!』は絶対読むべきですよ……」としみじみとした口調で薦めてきたので、「もう読んでるよ!」と、おれは“後輩に負けてたまるか”モードで答えたのだったが、彼は「そうですか、とにかくこれを読むとすごく力が湧いてくるんですよ」と独り頷き、丁度来校していた宮益坂上のキリスト教系大学女子にも「君たちも是非読むべきだよ……」と、やはりしみじみとした口調で薦めていた。
行動派だったA君は「ノビーがアメリカならオレはアジアだ!」と意気込み、東南アジア某国の貧困地帯を独自取材し、頼まれたわけでもないのにそのレポートを某オピニオン誌に送り付けたのであるが、はたしてそれを簡約したものが掲載される運びとなったのには驚いた。五流私大生による誰に頼まれたわけでもない取材レポートが一般商業誌に掲載されるなんて「前代未聞の出来事ではないか!」と、おれはA君を誇りに思ったのだったが、ときはバブル経済期真っ只中であり、そのことを祝着として受け止め深く感じ入った者は寡少であった。日本経済イケイケの時代であったので、多くの者にとっては「アジアの貧困」をテーマにした記事などまったく関心の埒外にあったのであろう。哀しいお話です。

けっきょくA君は、“就職戦線史上最高の売り手市場”と謳われた当時であってすら超最難関にかわりなかった、渋谷区にある、貧困層からも冷酷に受信料を徴収することで定評のある会社の記者にあいなられたのだった。

さて、もうひとりは、当日記でもたびたび言及してきた、現グローバルマッチョビジネス漢で、現在欧州某企業の Director 職にまで出世した J君であるが、A君のことを思い返したらもうどうでもよくなってきた。とにかく彼は『アメリカよ!あめりかよ!』に深甚なる影響を受け、五流私大を中退し、挫けそうだったアメリカの大学への進学/卒業を果たし、日本の大企業に勤めたあとに、ノーベル科学賞受賞者をも輩出する欧州の名門大学の大学院を卒業し劇的な学歴クレンジングを成し遂げたわけであるが、A君もJ君も、ことノビーに関しては「いっさい記憶に御座いません・・・」と、恩知らずな口をたたくにちがいないと確信している。もし再会し、そのような態度に出るのならば思い切り叱責してやろうかと思うのではあるが、彼らとはとっくに交誼が途切れているので、残念ながらその機会は金輪際やってきそうにない。

おれがノビーに感謝しているのは、かれの著作から田中清玄の存在を知ったことである。会津藩士の末裔だというのに廿になるまでセイゲン・タナカの存在を知らなかったとは、いまから憶うと誠に恥ずべきことではあるが、ノビーを読んでいなければ更にその無知ぶりは継続されていたように思う。

ありがとう、ノビー!