2012-05-04から1日間の記事一覧

いやもちろん、そのひとたちの人間性なんて知らないよ。 隣人じゃないし言葉すら交わしたこともない。 その枝垂桜を携帯カメラで取っていたら、丁度若旦那が帰ってきたので、「あっすいません」って挨拶しても完全に無視されたこともあったし。 まあ、儀礼的…

借景については、昔から住んでいる富裕層のひとたちはいまでもそれを大切にしているような気がする。 とりあえず植木を大切にしている。 坂道にある、とある大企業の元重役宅の側面には枝垂桜が植わっていて、道行くひとにそれを仰ぐ楽しみを与えてくれる。…

「そういうお前だって、その撮影スタジオみたいなクールな住宅や、金庫のようなおハイソハウスに住めるとなれば嬉々としてその快適さを友人・知人に自慢するようになるんだよ」と言われたような気がするが、おれは密閉恐怖症の気があるのでコンクリ的な建築…

いまだって例えばバンガロールの建築なんかにも眼を惹かれる。でも中に入ってみたくなるのは、近隣に残っている50年以上まえに建てられた平屋とかなんだよな。渋谷から都立中央図書館に行く途中、明治通りからちょっとはずれた場所にあるお家は何の事情があ…

だからといって、メディアがやらかす懐かしもの企画の類には(殆ど)興味をひかれることはない。過去の風俗なんて刺身のつまみたいなもんだ。 他人にとってはどうでもいい個人的な記憶がいまさらながら味わい深く感じてくるようになったということだ。

格好つけてもしようがない。 未来のことを想像したり期待することなんかより昭和40年〜50年代のことを思い出すことのほうが多くなってきた。 といっても別段現在と未来に見切りをつけているわけじゃなく、期待したり失望したりすることがとても面倒になって…

そういえば「網走番外地」の原作者はおれの亡父の同級生で、かつ、二人が一時期一所に仕事をしてた御縁もあって、子供のとき二度ほど御自宅にうかがい、更には社員旅行にも同道させていただいたことがあった。奥様が子供のおれの目にもハッとするくらい美し…

これに曲をつけて、ハスキーヴォイスが効いていた頃の圭子さまが歌いあげたならば完璧だったんじゃないのか!? わが子は二十に成りぬらん 博打してこそ歩くなれ 国々の博党に さすがに子なれば憎かなし負かいたまふな 王子の住吉西の宮

なんかしらんが梁塵秘抄読みたくなってきた。

圭子さまが歌うとよく分かるが「網走番外地」も子守唄だな。 をんなのをらない世界で健さんがそれを引き受けている。

暮れなずむ雨上がりの五月の黄昏に妙に合うのは何故だ 春に 春に追われし 花も散る

圭子の網走番外地が当分脳内BGMとなりそうだ。

一昨年が 森田童子、昨年が Dick Farney の A Saudade Mata a Gente (ensemble ver.)、今年は間違いなく「藤圭子さま年」であろうかと思う。 「雨がやんだら」 「恋仁義」 「命預けます」 「逢わずに愛して」 「網走番外地」

ちょっとひとりよがりな印象論を開陳しちゃったけど、まあ、赦してくださいましな。

とはいえ昔から住んでいるひとたちのほうが、その土地に愛着をもっている分、傾向としては責任感が強いとは感じている。 と同時に、その責任感がうるさく感じられることもある。

それから昔から住んでいるひとのほうがいいひとたちだなんてことも全く思っていない。 一寸先の角にあった邸宅の先代はとても気のいい御祖父さんで、うちの亡祖母も好感を抱いていたらしいのだけど、某有名企業に勤めその後会社をおこした息子夫婦が滅茶苦茶…