いまだって例えばバンガロールの建築なんかにも眼を惹かれる。

でも中に入ってみたくなるのは、近隣に残っている50年以上まえに建てられた平屋とかなんだよな。

渋谷から都立中央図書館に行く途中、明治通りからちょっとはずれた場所にあるお家は何の事情があるのかバブル経済期の土地転がしブームを耐え忍び、いまでは壁の一部が壊れるまま放置され、住んでいるひとにとっては随分と便宜が悪いように見えるのだが、このような江戸時代的な脆弱性、被攻撃度の高さが、他人にとってはどこか安心な気持ちにさせてくれることに今更ながら気づく。

最近富裕層の方たちは撮影スタジオのようにクールなコンクリ住宅や、通りに面した窓がとても小さく金庫のような造りのお宅を好むようで、それはもちろん個人の自由なんだけど、セキュリティのため外壁化した側面がプライヴェートな内側を守っているような印象を与えるのみで、借景の妙味ゼロ、御大尽度ゼロ、脆弱さ+被攻撃度の高さによって醸し出される心やすけき感ゼロという、<ゼロ>な結構である。