もうすぐポケベルサービスが(昭和40年)

金光 昭『赤電話・青電話』(1965年・中公新書)

プロフィールによると著者は逓信省の元官僚で日本電信電話公社の要職につかれたひと。なのでふんだんに資料・データ(すべて昭和40年以前)が用いられており、私なんぞはそれを眺めるだけでも楽しかった。

執筆当時の公衆電話事情は、

  • 一般家庭の固定電話普及は急速に拡大しているがまだまだ不十分であること。
  • なので公衆電話の普及拡大に努めている時期であること(電話ボックスは用地の確保も簡単ではない)。
  • 公衆電話を市内通話10円での時間無制限制を廃止し、所定時間以上の超過料金制を導入する流れにあったこと。
  • 仕事等の必要性からではなく、日常コミュニケーション=お喋りツールとしての「レジャー電話」が若者層を中心にブームになっていること。それが公衆電話の市内通話超過料金制導入の根拠のひとつになっていたこと。
  • 電話ボックス利用者のマナー違反が目に余ること。とくに電話機破壊、タダがけ技術―フリーキング―と電話機改良のいたちごっこが続いていること。

以上のようなかんじであったそうだ。

興味深いのは明治に電話が開通された当時の三名の女性交換手の写真である。一日に数通の処理件数だったそうだ。

もひとつ興味深いのは、終戦直後混乱の極みにあった状況下で、タダがけ件数(市外通話で超過料金を収めない)が横ばいであったということ。それを受けて“すなわち日本人の美徳”という記事が、Stars and Stripes紙に紹介されたものの、経済状態が安定し始める数年後にはむしろ悪化。理由は、長い間交換手が追加料金の確認をあえて行っていなかったということを市民は知らず、単に追加のコインを入れなければ自動的に通話が遮断されると思い込んでいただけであり、数年のうちにそうではないことが口コミで全国的に伝播された結果であろうとのことだ(なんともマヌケな話)。

それから瀬戸内寂聴さんなど著名人の電話時間が2〜3時間でも当時は結構な長電話であることが印象づけられていることである。私自身の最長電話は5時間半ほど、他人では、大学時代の後輩♀の場合9時間(平成3年当時)である。彼女は相手と一緒に同じテレビ番組を観たり、料理をつくるのを実況中継したりしながら楽しんでいたそうだが、「会えばよかったじゃん」というのは野暮な意見だろう。電話だからこその愉しみであったに違いない。もちろんそこまでの長電話が可能となったのは子機の登場も一役かっていたのだろう。

すべての家庭に電話が引かれることがまだ願望段階にある時代の新書ではあるが、最終章「あすへのプラン」では、ポケベルサービスの開始が近いことが仄めかされており、ゆくゆくは携帯電話が個人の所有物となり公衆電話は過去の産物となるであろうことが予測されている。

<目次>

まえがき
プロローグ
 その1
 その2
赤電話以前
赤・青・ピンク
利用のカルテ
長ばなし考
10円玉
受難記
あすへのプラン

<写真/キャプション>

・日本最初の電話交換所(わずか三人の交換嬢で処理できた:東京電話交換所)
・日本最初の街頭電話ボックス(東京・京橋畔、明治33年)
・チーン・ボーン式電話機
・昭和新型の公衆電話ボックス
・紙幣式公衆電話の集金
・ダルマ型赤電話
・二等になった応募作品(電話ボックスのデザイン)
・ボックス内の自働点滅装置(小さな丸い穴)
・電話ボックスの変種(京都嵐山渡月橋畔、出雲大社駅脇)
・ピンク電話
・騒音90のなかの赤電話(新橋駅ホーム)
・鏡つき赤電話(東京・豊島区・本橋タバコ店)
・わずか、7,8秒のスピード集金
・10円硬貨計算機
・改造前の青電話機/改造後の青電話機
・ボタンつき後払い式の青電話機
・ボタンなし後払い式の青電話機
・空気銃で撃たれたボックスのガラス
・擬似貨幣のいろいろ
・受託者が自費でつくった赤電話用ボックス
・ダイヤル市外通話用赤電話の内部(試作品)
・ポール電話

<図・表>
・6大都市における施設数と利用状況(昭和9年度)
・ボックス公衆電話の利用ベスト10(昭和8年度)
・公衆電話数の推移
・各国の公衆電話普及率(人口1,000人あたりの個数)
・赤電話の普及状況(普及率は人口1,000人あたりの個数)
・赤電話設置場所の業種別順位と個数(東京:昭和38年調査)
・ダルマ型公衆電話機のしくみ
・青電話の普及状況(普及率は人口1,000人あたりの個数)
・青電話機のしくみ
・ピンク電話の普及状況(普及率は人口1,000人あたりの個数)
・ピンク電話の業種別設置数と需要率(東京)
・農村公衆電話の設置状況
・新幹線列車公衆電話通話料金表(3分ごと)
・列車公衆電話の仕組み
・赤電話か青電話か(東京3,500人アンケート)
・1電話機あたりの利用度(全国・昭和39年度)
・“100番”利用の時間変動(東京・昭和40年2月調査)
・“100番”利用の曜日変動(東京・昭和40年2月調査)
・“100番”利用の月別変動(東京・昭和40年2月調査)
・利用度ベスト10(東京)とベスト5(大阪・名古屋・昭和39年度調査)

それ以降の図・表、どうしたことか当書を紛失してしまったので省略。見つかったら追記を予定。

赤電話・青電話 (1965年) (中公新書)

赤電話・青電話 (1965年) (中公新書)