神生彩史句集『故園』

彩史の第二句集をようやく入手。
神生彩史、句集『故園』、琅玕洞、1956年

「序・日野草城、昭和二十七、二十八、二十九、三十年作品、戦争に関する作品、跋・伊丹三樹彦、あとがき」という構成。

印象に残った句を引用させていただきます。

土砂降りの中うつとりと雨蛙

飛魚の焼けゐつつ翔ぶ構えせり

白服の税吏となりて喋りだす

落城のごとし晩夏の夕焼けは

寒燈の疵寒燈の消ゆるまで

しゃぼん玉の強弱は如何ともしがたし

くらやみの喉をとほりぬところてん

梅雨の闇ゴム長靴の中に濃し

農婦盛装してゐて黒穂見逃さず

深海に魚族はなやぐ原爆忌

柳家鴨は真顔ばかりなる

白日の蛇には暗き退路あり

青田中われを遮るはわが身なり

紡績に百千の乳房春緊る

牛肉が袋に重し春の暮

青嶺につづく海苔巻の海苔のいろ

逆襲の敵は夏草より低し

傷兵に蛍まぶしく担架来ず


日野草城の序によれば、当時神生彩史の作品はなかなか人々に認められなかったとのことである。
今となっては考えられないことだ。
いや、いまでもそうなのかな?

私は俳壇とは全くの無縁者であり、かつ、そのへんの状況(有季定型主義者の感性)については仄聞の域を出ないので別段記すことはないけれど、ダメな人々には強いて認めてもらわんでもいいのではないかと思う。

正直言って、有季定型一本やりの方々にも、非定型・無季・前衛に優越感を抱いている人々(いるとすればの話)にも感心することはないだろう。

ただ、あくまでも主観にすぎないが、新興俳句以降の試みに共感しインスパイアされた俳人たちの方が、以前・以降ともに吟味できる才覚を備えているのではないかと思うことしばしである。