F君、U君、元気ですか?

中学校一年のときは、クラスメイトのF君と『日本書記』というガリ版A4(B4?)一枚モノを誰に頼まれたわけでもないのに不定期で発行していた。
「誰に頼まれたわけでもないのに」という点が心に響いたらしく、校長から朝礼で激賞された。

マンガはU君に頼んだ。
子供の頃誰にでも天才遭遇体験があるかと思うが、U君はまさにその一人であった。

とにかく彼の描く<線>は、少なくともそこらへんの中学生レベルから遥かに超越していた。色彩感覚もただものではなく、プラモデル用塗料で彩色したガチャガチャの怪獣消しゴム(円谷プロ)などは、地域のおもちゃ屋さんのウィンドウに飾られるほどであった。とくに「ドラコ」の出来栄えが素晴らしかったので、「呉れとはいわないが売ってくれ」と申し出たところ、「これはオレが手がけたなかでも最高の部類なのでダメ!」と断わられた。

彼のことだから屹度美大に進学するもんだと思っていたが普通の大学の経済学部生になっていた。おれが「才能あるのにもったいないよな・・」と嘆息すると、「世の中には上にはうえがズラっと控えているもんだよ。オレなんてなんでもないよ」と言って笑っていた。とはいえ就職先はどこかの広告代理店のようであり、廿代半ばで再会したときには既にいかにもな髭を生やしてをり、いかにもな洋服を着ているのであった。