昭和の富裕層向け腕時計

ATLAS っておれの中学時代にセイコーが発売した世界地図/時刻を表示するスーパーな液晶デジタル腕時計だったんですよ。
当時同級生のYDという、クチを開けば鼻につくことばかり言いやがる医者の息子(富裕層)が持っていたんですがね・・・。

初めて液晶デジタル腕時計を目にしたのは小学生の時分で、クラスメイト・OTの父親の腕にはめられていたセイコー製のものでした。「あれは一体いくらくらいするものなのか?」と後でOTに訊いてみると「五万*千*百円」とやけにキッチリした価格を返して来やがったのですが、商店街のひとたちってなんだかんだいって富裕層が多かったように思いますね。バブル経済期以降には少なくない数の商家が立派なビルやマンションに変身して、それぞれローマ字化された苗字が建物の銘板に記されたりするのでした。

昔世話になった会社の社長は高校を卒業するまで渋谷駅周辺にあった(父親が勤務していた会社の)社宅に住んでいたのだそうですが、子供の頃(昭和30年代)は八百屋、魚屋、果物屋、荒物屋などを生業にしていた同級生らの実家は、バブル経済期までには、すべて貸ビルやマンションなどのオーナー業へと転身し、クラス会に集まる彼ら/彼女らの手首にはそろいもそろって金ピカの高級舶来腕時計が巻かれていたのだそうです。