金縛りと明晰夢の夢見について。

オカルトの流行は時代のありようと相即してその勢いに強弱がうかがわれまするが、時流に乗ることが生命線であるテレビ局においては斯界の有象無象を画面に登場させ、彼/女らが妖しくいい加減な言説を撒き散らすことを容認し、首尾よく世間から好評を得たことでイイ気になって、よせぁいいのにゴールデンタイムなんぞに特番枠を設けたりするもんだから、良識ある人々から厳しく指弾されて言訳しいしい(自作自演気味に)自粛へ向かっていく......という流れがパターン化するのでしょうか。

私は、白状すれば、オカルト話は決して嫌いではなく、稲川淳二の怪談なんかも結構愉しんで聞いてしまう人間でありますが、「オカルト」「悪口」「猥褻談義」は陰でこっそりやるものだと思っています。だって陰でやるからこそ愉しいのでしょうに? わくわくするのでしょうに? 家族揃った夕餉時に、前世だの、死んだ誰それがいまここにいますだのって、分かってないですよ番組の制作者は。あんなものが正々堂々と世の中に罷り通って陽のあたる街角でも交わされるようになった日にゃあ、本来オカルト噺が持っている名状し難くも蠱惑的な「怖さ」が、救いようもなく天晴れな「阿呆らしさ」へと成り果てちゃうでしょうに!

などと息巻いてますが、現在、オカルト番組等がどうなっているか全然確認していないので、すでに事態が終息しているのなら「いまごろ何言ってんの?」と突っ込んでください。

妙な前置きになりましたが、夢見のことを書きたいと思ったのでした。
前にも書いたとおり、私は明晰夢を見ることが少なくありません。今朝もそうでした。それで思い出したのですが、「オカルト(心霊)の世界は決して想像の産物ではなく現実の世界とぴったり重なっているのではないか」という子供時代からの心配を大きく解消してくれたのがまさに「夢」だったのです。

私は中学校2年生のときに、はじめて金縛り現象を体験しました。意識は完全に覚醒しているのに両目は開かず、手足、そして指先すら動けずで、それでも聴覚はしっかりしており、何か唸っているうちにテレビのサンドストームのような雑音が湧いてきて、そのうちそれが何者かのメッセージのように迫ってきたのです。時間にして10〜20秒ほどの短い出来事だったに違いありません。どうにかこうにか布団から立ち上がって、あくまでも五臓の疲れによる現象だと自分自身に言い聞かせはしましたが、耳に響いていたメッセージの如きものは恐怖心を喚起するのに十分な魔力がこもっていて、「ひょっとするとこれこそオカルト体験なのではないか?」という懸念をも心に植えつけたのでした。

そして20代の半ば、父親が死んだ前日あたりにもこの金縛り現象を体験しました。その時は赤ん坊の泣き声が頭中に響きわたったので、正直、「ひょっとすると何かの因果だろうか......?」と暗い気持ちになりました。それ以降、金縛り時になると、ドアが開いて誰かが入ってくきて私の耳元で雑音をがなったり、掛け布団に足をのせてきたり、足首をつかんできたり、胸のあたりに手を押し付けてきたりする現象を体験するようになりました。さらには猫の鳴き声なんぞも聞こえるようになってきました。それらは決して一般的な意味での夢見感覚ではありません。間違いなく現実そのものなのです。

ところが、ある日の夢が、これまでの金縛り現象中の感覚が完璧な(?)夢見であることを教えてくれました。

それは、一度覚醒して上半身を起こして既にお日様が昇っていることを確認し、「あと1時間だけ寝られるなあ」と再び枕したのも束の間、軽い金縛り状態に見舞われたので必死になって眼を開いたときのことです。

ハッと気づきました。さっき上半身起こして二度寝を決め込んだ一連の行為は丸ごと夢見だったのです。なんとなれば、先ほどの場所は以前自室にしていた部屋であったからです。あのとき上半身を起こした感覚、カーテン越しに視認した陽光の感覚、目覚まし時計に触れた指先の感覚はまさに現実そのものでした。でも、事の道筋が示す通り、明らかに夢だったのです。現実との齟齬を目の当たりにしながら、「睡眠から覚醒した現実」であることを露ほども疑っていなかったということですね。

このときほど「脳」という器官は玄妙なものだ! としみじみと感じさせられたことはありません。

これ以降、心に余裕ができたせいか、金縛り時だけではなく、明晰夢の中でも、どんな認知体験が可能なのか試すようになりました。複雑なプロセスは知りようがありませんが、すくなくとも金縛りが生じるコンディションで、「これは夢ではなくて現実だ」と認知するものの殆どは夢見であるか、譫妄に近い状態なのだということが分かってきました。以下よくあるパターンを列挙してみます。

  • 寝相わるく腕を放り出した状態の指先で畳をなぞる。これも夢ではないかな? いやいや確かに畳だ。ありありと畳であるぞ。決して夢ではない。まちがいなく現実の感覚だ。―という夢。畳は布団と書籍やらですべて覆われているので現実は触知不可能。でも、畳に触れた感覚の記憶は現実のそれと殆ど差がない。もし現実に畳が触知可能な状態であれば、夢だったのか否かは判定できそうもないほど。
  • 仕事中、エクセルで数値を確認。なんかこれ夢っぽいなあ、かなり怪しいぞ。うん、夢だ、ランダム関数なんか設定するわけないのに同セルを確認するたびに数値が変化するんだから。ああ面白い。オレの脳みそが適当な数値をあてがっているんだ―という夢とメタ認知
  • 誰かと話をしているがそれは存じ上げない人物である。もう一度その人の顔を見る。あきらかにさきほどの人物の顔ではなくなっている。ああ夢を見ているのだなあと思う。何度も確認してみる。その度に別の顔になっている。ああ面白い。オレの脳みそが適当な「顔」をあてがっているんだ―という夢とメタ認知
  • わあ、また赤ん坊の泣き声がする。ということはオレいま鼾をかいてるか寝息が荒いのににちがいない。息をとめてみよう。ほら泣き止んだ。オレの鼾か寝息が赤ん坊の声に転換されちゃうんだ。―という夢とメタ認知
  • うへえ、また猫が鳴き狂っている。息をとめてみよう、あれ、まだ泣き止まない。ということは別の何かが素材になっているな......分かった、カラスの鳴き声がメタモルフォーゼしたんだ。―という夢とメタ認知
  • これはきついぞ、悪霊の罵声だ。いやいや、いまオレ無意識に声を出しているな。なにか喋ってみよう。ほら、悪霊の罵声はオレの声そのものだ。―という夢とメタ認知

大きな発見は、です。就寝中は音に対してものすごく敏感になっているんですね。最近たまたま、脳科学の読み物でそれを解説しているのに出会いましたが、実体験があるのでストンと納得できました。私の場合、敏感になるというより妄想の素材にしているんですね。イメージを大きく膨らましたり、現実の音源とは違うなにかに転換したりするのです。テレビのノイズのような悪魔の罵声は、どうやら、自分の寝息が素材になっていることが多いようです。

あと、まだよく吟味していないのですが、夢見の視覚イメージの形成にまなうらの残像も大きく与っているようなのです。みなさんも眼をつむると完全な闇ではないでしょう? 残像が、PCのスクリーンセイバーの模様さながらランダムに運動していませんか? 一般的なのかどうなのか知りませんが少なくとも私はそうした体質ですが......。

さて、誰かが勝手に部屋に入ってくるイメージ、足首をつかまれるイメージ、誰かがおっかぶさってくるイメージですが、これらは人間の生存本能がもっとも警戒する事態のイメージなわけで、普通の人なら単なる悪夢で終わるところが私のように夢見中の現実感覚が過剰な人間は、夢かうつつか識別できない状態になるということなのでしょう。

以上、夢の形成についての観察結果は、僭越ながらあの偉大なファインマン博士を超えたかなぁ。


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