『監督 小津安二郎』


学生の頃叔父さんからもらってずっと積ン読だった以下を、風呂上りにポツリポツリと読んだ。

監督 小津安二郎

監督 小津安二郎

蓮實重彦の文体をはじめて目にしたときは可也規格外な印象を受けたことを記憶しているけれど(とくに『表層批評宣言』)、いまでは少なくとも規格外に感じることはない。

翻訳書にせよ何にせよ、構造主義以降の欧州思想に洗礼をうけた著作者の文体からは、難解というだけには留まらぬ規格外で変体的な印象を受けることが多かったが、「うへぇー」と辟易しながらも頁に目が釘付けとなった初々しさはいつの間にか鈍磨してしまったようだ。

今なんとかあの感じを追体験してみると、変態呼ばわりするのは失礼かもしれないので変体と記してみたけれど、あの「うへぇー」感覚には、ちょっと普通でない系列のエロ本なんぞを開帳してしまった体験とどこか共通したものがあったように思う。池袋西武百貨店にあった書肆「パロール ぽえむ・ぱろうる あたりで、たまたまガールフレンドに見つかってしまったら、「へー、こんな難しいの読んでるのー? 凄いねぇー」などと言われぬうちに「ゲロゲロ(何なのか知らないけど流行言葉だった)、なんじゃこりゃあああ」などと独りごちて棚に戻す。それがノーテイ学生としては正しい振る舞いだったように思う。勿論、彼女が今でいうところの文化系女子(or理系女子)ならばもう少し違う対応をとっていたのだろうが。

まあ、そんなことはどうでもいいのだけれど、当時の新奇さが普通っぽさに変化した一方で、ぎりぎり昭和の御世まで普通・標準的に感じていた文体・作風のなかには、その後いつの間にか木乃伊化して、いまでは相当な懸隔感を禁じえないものがあるに違いない。逆に、当時は時代遅れに感じていても今現在はまた違った印象をもつものもあるだろう。わたしの主観史のようなものがリスト化できるとすればとても楽しいことに違いない。