仏陀と弟子たち

仏典に目を通したり、仏教美術を鑑賞するたびに思い出すのが、手塚治虫(一発変換)の『ブッダ』である。

たとえば、「サーリプッタ舎利弗)よ」という釈尊の問いかけに触れるたびに、手塚のペンによる、グルグルまなこ(笑)のサーリプッタが想起される。とくに、元盗賊人殺しのアーナンダ(阿難陀)が托鉢に赴く先々で彼を憎む人々によってコテンパンな目にあいボロボロ姿で歩いている時、サーリプッタモッガラーナ(目犍連)に「そこの人、あなは精霊を連れて歩いている!」と呼び止められるシーンが印象深い。

手塚は賞賛・顕彰され続けているマンガ家として筆頭だが、私が好きな作品は、『ブッダ』『ブラックジャック』の2作品ぐらいなので(SFでは『来るべき世界』)、決して手塚ファンではないけれど、彼が描く人間の「弱さ」「はかなさ」「可憐さ」は、読むたびに私の心の深部に突き刺さってくるので、その意味においては他に並び立つ作家はいないのではないかと思っている。

ブッダ』は仏教史的に観た場合、ストーリー作りのためにずいぶん逸脱している部分もあるようだが、ソコは正に「方便」というものだろう。手塚は、『ブラックジャックからして十分仏教的であり、それは、ブラックジャックがオペ中に患者の顔の皮をはがす一コマからも見て取られ、チベット密教の(憤怒仏の)タンカ一枚に匹敵するインパクトを持つものだと私は感じる。

このようなことは4月8日にエントリするつもりであったが、その日は大学の先輩の結婚パーティーに参加するので、今晩UPした。ちなみに当日はなんと、仏滅だそうである!

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