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KindleにDLしていた青空文庫による 小林一三「宝塚生い立ちの記」 を読んでいたところ、昨年、学童時代にかえったつもりで暗記した 『百人一首』 がおおいに役立つ箇所のあった ことを此処に報告したい(宝塚ファンにとっては周知のことと存じますペコリ)。

それはさておき、このようにして、大正二年七月、宝塚唱歌隊第一期生として、左の十六名の少女たちが採用されたのであった。


高峰妙子       雄山艶子     外山咲子     由良道子
十島楫子      雲井浪子     秋田衣子     関守須磨子
三室錦子        小倉みゆき    大江文子     松浦もしほ
三好小夜子     筑波峰子     若菜君子     逢坂関子


いまとなっては由来などしらずとも立派に古風な印象を与える文字列であるが、このように本朝の伝統的な歌にちなんだネーミングを <和歌子系> と呼んでみたらどうだろう。
・・・とはいえ、

専務 「こないだ生まれた孫娘は儂が命名することになってね、不二子としたんだよ。峰不二子だ」
馬鹿 「さすがは専務、いうなれば<和歌子系>ネームですね?」
専務 「は??  『ルパン三世』なんだけど……」

上のように頓珍漢な顛末とあいなるリスクもあるのでよしたほうがよかろう。

ところで創立当時の宝塚歌劇団では、小林一三による世界でも類をみない新しい舞台の演出に関して、西洋のイメージに統一したい派と和風のイメージをとどめたい派とが対立(?)していたらしいことを以下を読んで知った。