そうだ、プリクラが登場したとき、当時勤めていた会社の上司が、今の技術だったら写真だけじゃなくイラストにも出来るはずだと断言され、それから暫く経ってから似顔絵プリクラが流行ったんだった。

その上司の、当時理学部の院生だった息子さんがヘルプとして手伝いに来てくれたことがあって、仕事終了後駅のホテルで夕食をとっていたとき、彼を幼少時から知る社長(♀)が、ねえねえフラクタルってどういうことなの? と尋ねたら、誠実かつ真面目なお人柄を前面に出して、紙ナプキンにボールペンで、コッホ曲線シェルピンスキーのギャスケット、それから何だかよく分からぬ方程式を描き(書き)はじめたんだった。そのペン使いと筆跡がいかにも若手研究者という感じがして俺はとてもシビレタたのだった。
彼は、先輩との賭けに負けたので、約束どおり美容院で広末涼子の髪型にしてもらった顛末を語って笑っていた。
歌舞伎役者さんのような風貌だったのでそれほど違和感はなかったかもしれないが、いったいどんな印象だったのだろうか。十五年ほど前の話だ。