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当然といえばとうぜんだが、現代俳句においても万人向けの名刺代わりを差し出すのはなかなか容易とはいえない。素人のくせに偉そうなので言葉をかえれば、誰に紹介しても大丈夫そうな作品を絞り込むのは思いのほか骨が折れる。
しかしながら(だからこそ、というべきか)、古典・準古典よりも、じっくりと付き合える作品に出会えることもまた事実である。ここで「じっくりと付き合える」というのは、私的な鑑賞を許容する自由度をより多く有しているという程度の意味である。誤解のないように言い添えると“なんでもあり”に解釈可能という意味ではなく、現代俳句は、公式な解釈から離れて多様に作品を味わう機会を、古典や準古典よりも多く与えてくれるということである。
そんな私の楽しみ方のひとつはネッカーキューブ型俳句(もちろん造語)を見つけることだ。
ネッカーキューブ型俳句とは、主体と客体、ものごとの布置、運動の方向などなどが、鑑賞するタイミングによってネッカーキューブのように遷移する作品のことを謂う。
遷移する各々は異なる世界を呈するものの、どちらも個別の味わいを備えており、かつ、何れに遷移するかの条件は享受者の私にすら分からないという特質がある。
いかにも無手勝流の鑑賞であるが、代表作品を以下に揚げたい。
西東三鬼『旗』(昭和十年)所収
右の目に大河左の目に騎兵
三鬼自身が「自句自解」のなかで、
多摩川の土堤で作つた。土堤の右を川が流れ、左を騎兵の列が来た。私だけが動かず、川も騎兵も流れていつた。
と句作の背景を示してるが、それに従うのとは別に、たびたび私はこんな解釈を味わっていることに気づく。
大陸の最前線。祖国へ生還することの難しさを予感している一兵。軍馬を愛撫しながら故里への思いに耽っている......。しかし、黄昏に覗き込んだ優しき馬の右目には異郷の大河が、左目には騎兵のシルエツトが厳然と景を成すのを認めるにおよんで、その心はたちどころに現実へと引き戻される。
石田波郷『惜命』(昭和二十五年)所収
霜の墓抱き起こされしとき見たり
波郷といえば病中吟である。掲句は初五で切れているので「病床で抱き起こされるとき病室の窓から霜の墓を見た」と素直に解釈するのが自然だろう。一方、何らかの理由により倒れたままになっていた墓石を、誰かが抱き起こす瞬間を目撃してしまい、恰も抱き起こされる墓石が自分自身であるかのような諧謔的な気持ちに襲われてしまったことを、長患いに対する諦念の表白として吟ずる姿も浮かび上がってくる。
大原テルカズ『黒い星』(昭和三十四年)所収
左よりわが埋葬を救うシャベル
埋葬しているのがワタシなのか。それとも埋葬されているのがワタシなのか。どちらも絶望と安堵が綯い交ぜになった感覚。
以上は暗い系統の作品なので、最後に力強く颯爽とした名句。
夏石番矢『Métropolitique メトロポリティック』(昭和六十年)所収
未来より滝を吹き割る風来たる
句が表現するとおりに素直に味わっている場合が殆どなのだが、別の瞬間、滝裏に隠れていたトンネルから“未来の風”が到来する光景が立ち現れることがある。この風は地球の内核近傍からマントルを経て、岩盤を貫入するカズムを伝わり、最後に目前の瀑布を吹き割ってその不可視の姿を地上世界に顕わすのである。地中奥深い処は未来というよりも地球科学などで扱われるべき遠い過去の象徴と見るのがふさわしいが、あまりにも遠い過去には濃密な未来感覚が秘められているから不思議だ。私にとってこの作品は、太古と未来が重り合う神秘的な高揚感が潜在した作品なのである。
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