『遅刻の誕生』

長谷川櫂「歳時記の時間」,『遅刻の誕生』:2001年,三元社.

江戸時代までと明治このかた現在までの時代、何が大きく違うかといえばそれは「暦」だということをあまり意識しない人が多いのではなかろうか。私も俳句に出会うまではそうだった。とはいえ歳時記に「新年」がある理由をちゃんと考えたことはなかったので当論を読んで本当によかった(旧暦時代の「新年」はまさに新春であり、改暦後の「新年」は冬期)。
こちらにどなたかによる引用あり。

「暦」の話は算数がからんでくるのですぱっと瞬時に把握できない部分があり(こちらのサイトでは分かりやすい解説あり)、しかも例えば旧暦「水無月」は現在の五月に当たるので晴れ間続きの月を意味していると理解したくなるが必ずしもそう結論できない説があったりしてややこしい。

私は、明治六年に実施された改暦が果たしている時代の大きな切断作用を思えば、「改暦記念日」なるものがあってもよいのではないかと考える。

ひとつ、旧暦の便利な使用は、「年内までには○○を実行する」と誓って果たせなかった者が「旧暦ではまだ年内だ」と強弁することができることだ。これはまあ、めでたく四十歳を迎えた人間が「まだ28歳だよ......16進法では」と云ったりするのと同列ではある。

一方、紀元については以前格闘技雑誌でムエタイ王者・チャンプア・ゲッソンリットが自身の生誕日を仏教暦で紹介しているのを読んでハッとしたこともあった(あと、以前ゆえあって目を通していた「朝鮮日報」に記されていたチュチェ紀もそうだ)。加えるに、 藤井乙男『日本文学史要』(三省堂)において、作品年代等を皇紀で表記してあるのを読んだときもそうだった。西紀ではない紀に触れると思わずハッとなってしてしまう自分であります。

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