「[絶叫委員会]33 世界が歪むとき 」穂村弘 ―『ちくま 2008年12月号』

おい、驚いたよ。俺ん家にもうひとつ部屋があったんだ」
吉行淳之介が電話をかけてきてそう云った、という話をどこかで読んだ記憶があるのだが、あれは誰の本だったろう。吉行の場合は洒落の一種だったかもしれないが、実際にそんな体験をしたら世界が歪むだろうなと思う。


これを読んで思い出した。自分の家にじつは一度もいったことのない階があるという夢を何度か見たことがあったのだ。

その一つは、本やらなんやらつめこんである三畳間の陰に階段を発見し、ワクワクしながらソレを上っていくという夢である。
その階段が後に知った雅叙園の百段階段の風情そっくりなのには驚いたが、夢のなかの階段は幅が狭く、上りきってみると、ガラス障子戸で仕切られたいくつもの部屋を囲むかたちで廊下がはしっており、どこが果てなのか分からないほど広いのだ。しかも住人たちは皆留守なのである。ガラス部分から部屋内をうかがうと、蛍光灯の常夜灯が点いており、テレビの隣のサイドボード上に大黒様やら置時計やらが見える。

そのまま進んでいく。雰囲気ががらりと変る一角、昭和40年代には何処でもみられた木造アパート調の一角に来ると、小母さんらしき人がサッと姿を隠した気配を感じる。ついさっきまで、共同トイレ横に設えてある電気洗濯機を回していたようなのだ。自分としては、いまさら住人たちを追い出すようなことはスマイと思っているが、彼らから家賃をいただければ生活がずっと楽になるなあ(どうしよ)と考えている。

と、そんなシーンで目が醒めたのだった。