『ケータイ小説的。』

速水健朗ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち』(原書房

読後「へー」と思ったことをランダムにあげると、

  1. 相田みつをはヤンキーに人気がある
  2. 特徴の一つは「回想のモノローグ」
  3. 読み手はノンフィクション小説であることを求めている
  4. 学校を卒業しても地元にとどまり、そこで人的ネットワークを築いている若者は、ほとんど東京に行かない。行く時は電車に乗らず必ず自動車を利用する
  5. ヤンキーは必ずしも反社会的暴力志向ではない。'70s〜'80sは時代を反映していただけ。
  6. つまり、いまのヤンキーは反抗世代ではない。 cf.セカイ系

>2.回想のモノローグ
「回想のモノローグ」手法によって時代のムードをうまく演出しているなあと感じたのは、'93年に放映されたTVドラマ『高校教師』だったことを思い出した。各エピソードの終盤に「あのときの君は〜だったね」のようなセリフが挿入されて、森田童子でエンディングしていくのだった。

当時私は、その森田童子の楽曲(「ぼくたちの失敗」)に意識が混濁しそうな不思議なノスタルジーを引き起こされていたのだが、ある晩たまたま幼馴染の家で『高校教師』を観ていた折、彼から「このドラマ、この唄、気持ちわるいよねぇ〜」と当然のように同意を求められて困惑したことがあった。

「回想のモノローグ」手法のさきがけは、紡木 たくという漫画家の『ホットロード』という作品だそうだ。

>3.
TBSラジオで宮でぃ先生がおっさるには(31mあたり)、読み手は携帯小説の内容を「自分の身に起こることとしては全く想定していない」そうだ。あくまでも共感がキーらしい。

ケータイ小説愛読者は、中学時代の妊娠、流産、彼の暴力、死に至る病、事故死などなどを自分とは無縁であり、かつ、リアルな出来事として受けとめながら共感しているのだろうか。

ケータイとは全く関係ないが「ヤンキー」をキーワードにして忘れられない思い出は、'82年の秋、横浜市立大学の講堂で観た The Stalinだ。すでにメジャーデビューした後で豚の頭部を客席に投げ込んだり、牛乳に混ぜた汚物をぶちまけるなど初期の過激さはなかったものの、横浜中華街の旧正月もかくやと思わせる爆竹束の投擲はいまだ健在だった。その爆竹束のひとつは、まさに私をめがけて飛んできて頭上で爆ぜたのであった。

さて、ショーが終わってロビーでタバコを吸っていると「そういゃさー、爆竹が飛んできて耳ふさいでる野郎いなかった? ああいうヤツは家でレコードでも聴いてろってんだよ」「ほんとほんと。だっせ〜よ」という女子の会話が聞こえてきたので吃驚した。なんとなればこの私も耳を塞いでいた一人だったからだ(隣にいた青年も耳を塞いでいた)。そして納得した。彼女らは、まんまヤンキーだったのだ。遠藤みちろうの真似をして目を隈取ってはいたが(現在でいうと女芸人・椿鬼奴のメイクに近い)、「夜露死苦」な女子だったのである。

私はパンクやニューウェイヴ、オルタナを聴くような人間は自分たちがマッチョになれないこと、あるいは、マッチョが嫌いなことを自覚しており、人間の「とほほ」な姿にも寛容的というか、まあ、無関心になりきれるという逆説的な意味で強いメンタリティの持ち主だと想定していたのだったが、上述の女子のように必ずしもそうではなく、更に後日、渋谷・屋根裏等に集うハードコアパンクの人々の中には現役の暴走族のメンバーも少なくないことを知ったのである。

ヤンキー=YAZAWA、銀蠅、歌謡曲、'50s......というのはあくまでも一般傾向であって、どんな集団でも例外が存在するものなんだなぁということを改めて認識した出来事であった。