新書
岡嶋裕史『ウチのシステムはなぜ使えない SEとユーザの失敗学』(光文社新書)を読む。
土屋賢二先生のエッセイに笑ってしまうたちなので、随所にそれと同質のユーモアを見出し、笑う。
私はIT業界とは無縁な人間だけれども、外部情報から想像するものとそれほど違いはなく、実際こんなもんなんだろうなぁというのがファクトに関する感想。
しかし、“ケーススタディである”と前書きされた「第三部 ユーザーとSEの胸のうち」は、腕の立つコテハンによって書き継がれた2chのスレッドのような筆致となっており、著者個人が積年の怨みをはらすために書かれたパートなのかな? などと勘ぐってしまった(でも大笑い)。
意思疎通の齟齬、営業部門と製造(製作・制作)部門の軋轢、そして、一度できあがってしまったシステムの慣性力の途方もなさ、そこから引き起こされる悲喜交々というのは何もIT 業界にとどまらず、「システム」を広義なものとして解釈すれば、すべての業界に対して当てはまることかと思われるので、まだ社会人になったことがない学生さんなんかが、啓発本の解毒剤代わりに読むのも価値があるかも知れない。
この著者の、ユーモア以外の文体特徴は「読みやすさ」である。全然知らないひとであったが、何冊も新書を出されており有名な方のようである。また他のものも読んでみたい。
ところで今日、生まれてはじめて離人症的な気分を味わってしまった。
“中学校一年のときに転校して疎遠になってしまったA君と実は今でも仲良く付き合っている”という反事実的仮想イメージが突然あらわれ、しかもその視覚イメージ中の私自身から「私」感覚がすっかり抜け落ちていて、成りすましの如く感じられるのである。
全然たいしたことではないのだけれど、そうした仮想・妄想を浮かべるさいに一度も味わったことが無い経験なのである。いままでずっと、イメージの中の自己は、只今イメージを浮かべている私自身として、主観として、あるいは、主観の鏡像の如き存在として感じていたのだ(リアルかどうかは関係なく)。
幾分不安な深夜である。
おやすみなさい。