高田馬場 渋谷

昨日は久方ぶりに馬場へ。
一年ほど前、西脇順三郎『えてるにたす』をみつけたものの、己が財布のあまりの軽さに断念。涙を呑んだ。その復讐戦である。

もちろん、西順はなかった。おそらくとっくに。

しかし詩歌関係がのきなみ値を下げている昨今であり、古書店店主の嘆きも深い時節である。
かわりにみつけたのが、鷲巣繁男『蝦夷のわかれ』である。一阡伍百圓也である。来てよかった。7年前の半額になっている。その他の一連も概ね半額程度になっている。というより詩歌全体がほぼ半値になっている。正直複雑な気持ちにもなる。

私は神保町大好き人間だが、馬場のことも決して忘れない。
一般人にとって詩歌や国文、昭和左翼系の掘り出し物ならむしろ馬場ではなかろうか。全体的にも神保町より求めやすい値である。
店主の方々は近隣W大生の古書購書離れに危機感を抱いている、からなのかどうかは知らないが、意外に親切だし(どうでもいいが、W大生達は横並びに歩くのを少々控えてくれないものだろうか。表のゾッキ本を選っているとき、邪魔である) 。

例えば、こちらが嬉しそうな顔をしていたり、「まだ残っていた!」という安堵の表情を見せていると、向こうから50円ほど安くしてくれたり、嬉しそうな表情を返してくれたりするのである。「50円?ケチな話じゃないか」と思うあなたは東都の古書店をそれほど利用されない方ではありますまいか。

きょうは渋谷の某大書店を冷やかす。
大陸棚前でぼーっとしていると、店員さんがコーカソイドカップルをつれてくる。
「Books on marxism, here ?」と男。引き続き、「Communist manifesto」と云いながら「Very very(人差し指と親指で束の薄さを示す)」ときた。傍目にこの青年が伝えんとしているのが「日本人のあなたも、書店員ならば小冊である『共産党宣言』は知っているでしょう」という意に汲み取ることが出来、興味深く拝察していると、彼はもういちど「Manifesto...」「Communism...」と噛んで含める様に云う。店員さんは困惑している。

ふと棚を見れば、面白いことに白人青年の真正面にあの太田出版刊『共産主義者宣言』の背表紙が見えるではないか。徐に「あいすぃんく」といいながら指差してあげると、彼は「Oh...」といって手にとり表紙を一瞥して「Yes、Yes!」と喜んで傍らの女を呼んだ。そしてもう一冊何かを取り出し、ともにページを捲りながら母国語と思われるドイツ語をまくしたてた(そういえば彼は元西ドイツ代表サッカー選手リトバルスキーに似ている)。そして、「あ〜、でも小さくて安価なのがあるはずだけど」という旨を呟いていた(推測)。

「それなら岩波文庫がいいですよ」と教えるべきか否か。3秒ほど迷ってやめた。というのも最近あまり目にしないのである。この大書店でも在庫切れのはずである。でも、あるかもしれない。やはり教えてあげようか。しかしなんか嘴はさむのもタイミングを逸したみたいだし。いやそれでも教えて差し上げようじゃないか。いやいや日本語訳のマルクスを探書しているドイツ人なんだからいずれ自分で探すさ......と、もときた文庫棚でわざわざ自分が確認するまでつまらぬ内省に疲れることになる(やはり在庫切れみたいでした)。

さて、日本語が読めないと思しき彼がナニゆえ一瞥してソレと分かったのか。
それはまさに太田出版板の装丁がゆえにであろう。
あの表紙と束具合は、言葉の分からぬとつくにびとに対しても立派に『共産党宣言』を宣言しているのではなかろうか。

そういや今日は参院選だった。
本朝パルタイの首尾や如何に。


三田の詩人たち (講談社文芸文庫)

三田の詩人たち (講談社文芸文庫)