鄰書之外題

東急線に乗っているとクリスチャン系女子小学校生徒どもが乗車してきた。
立派なものである、半数近くが本を読んでいるではないか。誰であろうと他人が読んでいる本は気になるものだ。確認できたのは、モーリス・ルブラン『古塔の地下牢』星新一の何か、理科の副教材であった。星新一コナン・ドイルモーリス・ルブラン江戸川乱歩などは、私の小学校時代も大人気であったが、いまだに人気を保っているのであろうか。凄いことだ。

星新一の何を読んでいるのか眉間に皺を寄せて確認してると読書子に気づかれてしまったので視線を別方向に泳がせると守護聖人カードが目に留まる。生徒さん全員がランドセル側面のパスケースに入れてあるのだ。篤信家であれば一瞥するだけで聖人の名を言い当てることができるのかもしれない。聖百人一句のような遊戯があるのだろうか。しかしカードを叩くのは不敬であろうからもとより考えもつかぬだろう。神経衰弱のように句(orデータ)と聖像を引き当てていくようなものはあるかもしれぬ。

などと益体もないことを思案していると独語しそうになってふみとどまる。独語とはドイツ語のことではなく独り言のことである。独語は怖い。というのも時折、高校生時代にヘヴィーローテで聴いていたモノがつい口を付いて出てくることがあるからだ。それが、ジャック・プレヴェールの原詩だったり、それこそ独語の独語として「ニーベルングの指輪」などであればたとえ変人扱いされたとしても幾ばくかの虚栄心に酔うこともできようが、それが、GISM「INCEST」だったりすることがあるので注意が必要だ。
それも、「SE〜〜iShi Wo Bukkakerohhhhhhh!!!」の部分なのである。もはや毒語と言ってもいいくらいだ。間違っても耶蘇教乙女の前などで口にしてはならない。

以前通勤電車中で、それこそ『自虐の詩』のイサオのような人が「あああ〜〜、きりぼし、最近食ってねぇえなぁ」とひとりごち、1秒くらい間があって、乗客の“ぷっ”のユニゾンが響いたことがあったが、これはまだ微笑ましい部類だろう。


パンク・ロック/ハードコア史

パンク・ロック/ハードコア史