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コメダ珈琲で20巻までざっと読んだ限り 『鬼滅』 は「眠り」こそが主要な鍵語となっており、そこには作者から読者(子供たち)への、「みんな十分に睡眠とりなよ! 睡眠をとらないと能力が発揮されないよ!」という、心温かなメッセージが込められていることは自明である。(小並感)
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おれは医師から利他リンを処方され、それを服用していたときですら爆睡することがあった。
利他リンによってむしろ精神の緊張が解け 「良い心地」 を召喚しまっていたのだろうか?
そのことは医師には黙っていたが、正直に言うべきだったのだろうといまになって惟う…。
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「徹夜」というより「非睡眠時間」としたほうが分かりやすい。
というか、もっと当たり前の言葉がなかったっけか?
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小学校6年生のときは、前年林間学校(北軽井沢)にいった際に購入した、「努力」の一語が刻まれたプレート付きキーホルダーをカバンに提げていた。
努力が好きだったからではなくどうしても努力ができない性質だったので、それを少しでも改善する効果があることを期待したからであった。
この性質は死ぬまで抱えざるを得ないのだろうと、もうとっくに自分に対して諦めの気持をいだいている。
睡眠も8時間はとらないと仕事にせよ学習にせよまったく効率があがらずミスや誤読が多発する。
これまで半世紀以上生きてきたが貫徹(完全なる徹夜)は1日が限界である。大学生の頃に2日間睡眠をとれなかったことがあったが、それでも90分間、部室(ぶしつ)で横になった際に寝入っていまったので貫徹(完全なる徹夜)ではない。
幸いなことに(正規被雇用者時代の)職場においては主に独りでおこなう業務に就いてきており(つまり、寝たければたとえ30分くらいでも寝られる)、かつ、社内文化として「無理はしない」ことをモットーとしているところに(偶々)就業していたので、1日(24時間)以上徹夜したことがないのである。
なのでショートスリーパーのひとたちに対してはいまでも尊敬の念を抱かざるを得ないのである。
大学時代の先輩が大手の会社のSE(基幹系)になったとき「3日間一睡もできないことなんてザラだよ」とべつだんそのことを誇っている風でもなくほんとうに当たり前のことのように話していたときは、心底「すごい男だ!」と感心したものである。
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夏の夜、近所の緑地を散策していると仔ダヌキ一頭が俺を迎えるかのうようにじっとしていたが、距離がちぢまると草叢に隠れてしまった。
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そういえば(記憶はいささかあやふやではあるが)、ライバル打者をしとめる妙案を思いつき在所(マンション)を訪れた伴宙太から、「バットはないのかのう…?」と訊かれた星飛雄馬が、「バット? 投手の俺でもバットの1本くらいは持っているが…」と呟きながら、部屋の隅に立てかけてあった1本をやおら差し出すシーンがあったのを覚えている。
これって色んなところで使われてもいいのではないかと思う。
たとえば
理系青年:「門衛をびっくりさせようとしたファインマンが何度も外に出て再び門を通過したって話、あれって壁にあいていた穴を通ったんだっけ、それとも、金網だったっけ?」
文系青年:「ファインマン? 中国哲学科在籍の俺でも 『ご冗談でしょう』 くらいは持っているが…」
など。