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身内のひとりが「引越してみると自由が丘・緑が丘なんてわざわざいってみたくなる街じゃないしましてや『故郷』なんて感じじゃないワ」とのたもうていた。

おれは(あえてという感じではあるが)「故郷」だと思っているし、人に対して積極的に使ってみたい言葉でもあるのだが、これまでその機会はたった一度だけ沖縄県出身の青年と話したときにあるのみである。

山河と呼べるものはないが歩いてもゆける距離に多摩川があるし、とっくの昔に暗渠にされてしまったが九品仏川も流れている(昭和の初めには鮎が獲れたのだそうだ)。また、坂の多い街なのでこれを山にみたてることも可ではある(そのうちのひとつは石坂洋二郎『陽のあたる坂道』のモデルとなった)。

それに七五三は熊野神社に参詣したので産土様の坐します土地だとも言うことも不可ではなかろう。

いまは富裕層のひとたちばかりの街に成り果ててしまったがバブル経済期以前はそうでないひとたちが大半であり学生も多く住んでいた(それほど家賃の高くない木造モルタルのアパートがたくさんあったし、下宿を兼ねている家も少なくなかった)。

「昔はよかった」などとすべてに対して言いたい気持など毛頭ないが「故郷」に対してはおれはそういう気持を抱いたまま死んでゆくのだろうと思う。