中学校二年生のときに観た金八先生の名シーンを突然思い出した。

Wikipedia によると友川カズキ氏秋田県能代工業高校バスケットボール部出身だそうで、当チームを日本の高校バスケットボール史上屈指の強豪に育てたあげた加藤コーチは、友川氏の指導者としての才能を賞賛しているとのことだ。
当時バスケ部だったおれは、金八先生と共演を果たしたこの個性的フォークシンガーが能代工業の元選手だったなんて寸毫も想像できなかったし、そんな噂を一度たりとて耳にすることがなかった。
関係ないけどバスケットボールをバスケと略するのは文字として見る限り随分奇妙な印象をうける。渋谷センター街をバスケ通りと改称したらしいが、「マンバギャルに因んで 婆女=バスケ とさせていただきました」と担当者がニッコリ広報している場面を妄想してしまう。
あるいは更に妄想的で申し訳ないが、「すいません バス停はどこにありますか」 「え? ああ バス ケイオウのね それなら井の頭通りですよ」 という会話を想像する。むしろこっちのほうに共感者がいるような気もするがどうだろう。