1618年、デカルト22歳のとき、オランダに赴きナッサウ伯マウリッツの軍隊に加わる。ただし、八十年戦争は1609年に休戦協定が結ばれており、実際の戦闘はなかった。マウリッツの軍隊は近代化されており、ステヴィン等の優れた数学者、技師などの起用によって、新兵器の開発も盛んであったことが知られていた。デカルトは自然科学者との交流を求めて、マウリッツの軍隊を選んだとも考えられる。