『戦争の世界史』

稲葉振一郎さんのブログで知った『戦争の世界史』を図書館から借りたままツン読状態だったのだが、予約者が出て延長できなくなり、慌てて70ページあまり読んだところで返却。

失敗した。
とっとと読んでおけばよかった。だって、「そうだよ、これを知りたかったんだよ」という記述が随所にビシバシ登場するのである。しかも読物としても非常に楽しめる文体(訳文)なのだ。

たとえば、軍事教練について、いったい歴史上の誰が本格的に始めたんだろうとずーっと思っていたのだけれど、まさにその人物が登場する。17世紀のオランダの軍人、ナッサウ伯マウリッツそのひとである。

以下、ちょっと長めですが引用させていただきます。

ナッサウ公マウリッツと、かれにつづく何千というヨーロッパ諸国軍の教練教官たちが発達させた軍事教練というものは、この原始的社会性の貯水槽に蛇口をつけてじかに力をくみ出す仕掛けであった。一見すると退屈な繰り返しにもみえるが、教練というものには、市民社会の最下層から徴募されてきた者を含む、あらゆる雑多な男たちの寄せ集めを、生命や手足を失う危険が歴然と差し迫っている極限状況にあっても命令に服従する、団結強固なコミュニティに変えてしまう力があった。

こうして、対極的なもの同士を組み合わせることにより(外見上は対極的なもの同士を、といいかえてもいいが)、全世界がそれ以前には見たことのないほど強力な<政策の道具>がつくりだされたのである。上から決められた規則を遵奉するのは軍隊ではあたりまえのこととなったが、それは、規律違反に対して定められた厳しい罰則がこわいからだけではなくて、兵卒たちが、自分では頭を使わない盲目的な服従の姿勢と、軍隊のルーティンのなかのさまざまな儀式のうちに、掛け値なしの心理的満足をみいだしたからでもあった。わが部隊への誇りを共有する一体感は、それ以外に誇るべきものをほとんど持たない何十万という人間たちにとって、実感のこもった現実であった。外部世界で、財やサービスの売買がいたるところに浸透し、金銭をあつかうえで必要な自制心や抜け目なさや先見力をそなえない人間がきびしいハンディキャップを負うようになったとき、そこから落ちこぼれた男たちが軍隊のうちに名誉ある避難所をみいだしたのである。官僚制的手法によって組織され統制されていながら、他方で、心の深層に発する、安定した、ひじょうに強力な感情によって支えられた人工のコミュニティが誕生した。それを手に入れた政治家や、外交家や、王候にとって、それは何と強力な道具であったことか。


「こうなったら買ってやる」と言いたいところであるが、訳本はいまの私では手が届かないので、丁度ダイアモンドも入手したことだし、PBで挑戦してみようかな......。


戦争の世界史―技術と軍隊と社会

戦争の世界史―技術と軍隊と社会

The Pursuit of Power: Technology, Armed Force, and Society since A.D. 1000

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