坂茂の紙管ハウスは、トルコの震災後、恐怖で家に戻れなくなった被災者に安堵感を与える利点があったとのことだが、たしかに、地震国の石造建築がそのまま墓を兼ねてしまうリスクの高かろうことは考えるまでもなかろう。

それでも、というか、だからこそ、瓦礫の底から生存者が発見されたニュース等に接すると、いやでも人の「運勢」or「運命」という、思い巡らせたところで自己満足型思考ループに陥るのがせいぜいな、鉛管あるいは鉄管の如きソレについて考えさせられてしまう自分が居る…。