『KOTOBA 第21号』(集英社)

kotoba2015秋号

引用させていただきます。
(pp.36-37)

今ではインターネットで日本中の地形図を見ることができるが、二〇年前は違った。クラブの先輩に地図を借りて、大学生協でコピーし、白黒の見づらさに耐えられなくて、結局、大盛堂書店の六階の地形図コーナーに買いに行く。それが我々(東京都立大学ワンダーフォーゲル部員)の典型的行動だった。現在、大盛堂書店に地図コーナーはない。移転に伴ってなくなってしまった。何年営業していたのかは知らないが、その短くない歴史の中で、都立大学ワンゲル部員しか買わなかった地形図というのが、結構あるのではないかと思う。我々が生活からも普通の登山からもかけ離れた地域を活動の対象としていたからだ。

(p.38)

そこには日本地図センターが入っており、縮尺と地形図名を言えば、おじさんが背後の大きな地図の棚から「ぱん」という小気味よい音で地図を抜き出してくれた。おじさんは棚から抜き出された勢いでふわりと空間に浮かんだ地図を、空気に乗せるようにして体を回転し、そのまますっと、大きなテーブルの上に着地させて言った。
「こちらになります」
その仕事は達人級で、地形図名がわからなくても、山頂や登山口を言えば出してくれるほどだった。出してもらった地図を見て、「この北」とか「南側」と注文してもまたぱん、ふわり、ささーっ、「こちらになります」。ワンゲルの一回生が「二万五千図のカラ木岳ください」と言っても、顔色をまったく変えずにぱん、ふわり、ささーっ、「空木(うつぎ)岳になります」と地図を出した。