平成とは・・・


もちろん<バブル経済期>で截然と分けられるわけではなくその前夜から祭りの後にかけて徐々に変化していったんだろうね。。。
印象論としては、バブル経済期前後から一挙に普及された感のあるモノが、「レジ袋」「ペットボトル」だよね。中学生のころまではお使いにいくときは買い物かごを提げていたのをはっきり記憶しているのよ。
コカコーラ(1ℓ超)はバブル真っ只中ではまだ壜容器主流だったかね? 地元友人のMが空壜を貯金箱かわりにしていたんだけど、かれは高校卒業後(のちに)3Kと呼ばれる仕事に就いていて、繁忙期ともなると月給五十万円に達していた“高給取り”野郎なもんだから、かたくなに五百円玉だけを投入していて、ふざけてオレが一円玉をいれてやると「貧乏人じみたことやめれヤ〜!」と怒っていたもんだった。
そういえば、猛暑の折に東京近郊を友人Sの外車に乗せられてドライブするのは非常に楽しいものだけど、たとえば相模川流域なんかで大昔からある社叢が偶々みつかってそこで涼やかなる気分になったあとにだね、自動車専用道路の高架脚脇に散乱する殆ど汚物と化した厖大なるレジ袋、そして、ドライバー紳士諸君が投げ捨てた小便入りのペットボトル数ダースがぐっしゃーと打ち捨てられてをる景色の、なんていえばいいの? 洋の東西を問わず凡ての人間を怠惰なさしめるエントロピイの乱雑さとてもいえばいいの? を目にするとだね、「いやさ、平成日本の象徴ここにありぃー!」となかばヤケクソ気味に叫びたくなったりするんだよね。そんで、人類が滅亡したあとに殆ど汚物と化した厖大なるレジ袋、そして、ドライバー紳士諸君が投げ捨てた小便入りのペットボトルに覆われた国土が幻視されちゃって、貫入が走ったコンクリート系のニヒルな気持になったりするのだよ。
そのたんびに、そこらへんの感覚をみごとにすくいあげているのが小説家・中原昌也じゃないのかなーと静かーに考えて見たりするんだけどね、べつになんの救いにもならんよのよね……。<談>