一般的にいって植物彩画は観察主体にとって目立つ要素(主観)を記録するという大きな存在意義がある旨をSから教示されたのだが、記録者の画力に問題があればおそらくは役に立たないだろうし、作者が色盲の場合も芳しくないに違いなく、より意義をもちうるのは写真とともに残すことじゃないのかしらと、谷中墓地を散歩中たまたま牧野富太郎先生墓所の案内(看板)をみつけたときにフト思うた・・・。