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■小学五年生時の議長団という場で意見が割れたとき、女先生(党員)が「こういうときどんな方法があると思いますか?」と切り出しながら多数決を教えてくれたことを思い出した。ということは、小学校四年生までは担任の先生が学級の意見を集約してものごとを決定していたということになる。当時の記憶としては若干違和感を覚えるが、党員先生指導のもとの議長団活動は小学五年生からだったので記憶違いはないと思う。
■低学年のときの学級会は、「誰それは約束を守らなかった」「誰それがオタマジャクシを殺した」「誰それがスカートめくりにはげんでいた」という体の、女子が男子を糾弾する場となるのが常であったのだが、三年生になった最初の学級会でS女史が、「いったいいつまでこんなくだらない時間をつぶすのですか?」と切り込み、それを受けて先生は「そういう意見を待っていた!」と口を極めて絶賛するので、こんなくだらない時間を結構楽しみにしていた洟垂れアーチンな俺は「じつは男よりも女のほうが凄いのかもしれない」と世の現実を自覚し始めたのであった。
■S女史は『吾輩は猫である』の下巻で途中放棄して「意外と大変だからひと休みする」と言った。
■読書感想(読了本の推薦)の授業でオレは『二十四の瞳』をあげた。「作者は【つぼい・えい】です」と言ったそばから「【つぼい・さかえ】かと思われます」と訂正された。いや、言ったそばからではなく、オレが発表を終えた直後にであり、S女史は良識を弁えていたのだ。
■『壺井繁治詩集』を推薦したオレがタイトル・作者名を読み間違え、彼女が「【つぼい・しげじ】かと思われます」という展開だったら傑作だったのに。
■オレがなぜ『二十四の瞳』を選んだかというと、映画作品(デコちゃん主演)を見て面白かったからという、ただそれだけの理由からであり、映画はよかったけど小説はつまらなかったという印象を抱いていたはずだ。
■そういやあ当時、『愛染かつら』(上原謙主演)を観ていたく感動し、翌日友達に感想を求めたのだけど、当然誰も見ておらず、「お母さんが観ていた」「お婆ちゃんが観ていた」という奴ばかりだったことを思い出した。何ゆえオレは感動しちまったんだろうか?
■ずっとあとになってうちの母親から聞かされたことなのだが、S女史は担任の“教師としての態度”に関して本人に向かって堂々と批判を述べたことがあったらしい。作家・佐藤亜紀さんとイメージがダブル。三田の法科を出たと仄聞したけど今なにやってんだろう......。