永遠と一日

baskov2007-04-21

テオ・アンゲロプロス監督永遠と一日』のサントラを聴く。

ふとしたはずみに、あの静かなアコーデオンに導かれて始まるストリングスのイントロが頭中を占めることがあって、そうなると、是非あらためて聴いてみたくなる作品。
Eleni Karaindrou(エレニ・カラインドルー)の音楽をテーマにしたのが『永遠と一日』ではないのかと思えてしまうぐらいに、映像と一体化している。実際、映画のなかでも劇中音楽として、隣家の窓からテーマが流れていたはずだ(「わたしに聴かせるためなのか」と主人公が呟くシーン)。

映画のタイトルはちょっと謎かけめいているが、『永遠と一日』の「永遠」は、想起対象となる思い出=過去のことだ。「一日」は、死期を悟った主人公が生きる一日、といっても、その一日のシークエンスは、ストーリー進行とともに、次第に「永遠」と溶融してゆく。まだ、「永遠」に内包されないはずの「一日」が、すでに生きいきとした永遠であるかのように。

ラストシーン。「永遠」の中で、3年前に先立った妻に主人公が問う。「明日の長さはどれくらいだ?」妻は答える。「永遠と一日よ」。
この映画がおセンチムードとは無縁なのは、記憶=過去を「永遠」として観ていることにあろう。過ぎ去った人生が過去として実在していくこと。そこには深い哀切があるけれど、生の一回性への自覚は、より大きなものへと回帰していく存在の確かさを、われわれ自身へと与えることにも気づかされる。