最終回 「【こうえつ】ってなんですか?」

むかし、某・名TVドラマのなかでモデルにされていた、「社員教育」…というか、「軍隊的自己啓発プログラム」を開発・提供する老舗会社のH氏から話を聴くことがあった。

H氏が語るに、従業員から毎日提出される新規プログラム提案書の文章を直したり、社内閲覧書をリライトしたりするのも自身の職務のひとつだとのことなので、「校閲もされているのですね」と小さく相槌をうちながら話をすすめたところ、「ちょ、ちょっとまってください・・」と制してきたので、「あ。はい」とひと呼吸おくと、彼は「【こうえつ】ってなんですか?」と真剣な表情で訊き返してくるのだった。

テッキリおれは、「校正/校閲」の違いについてどう定義しているのかの確認をとりたいのだろうくらいに受け取ったのではあるが、かれが「言葉自体を耳にするのが初めてなもので・・」と付言されるのを耳にして、失礼ながら何故この方が当該職務をあてがわれるに至ったのだろう? と不思議に思った。

なので、いちおう、現在の仕事を得るまでの経緯をきいてみると、彼は別段その業務に必要な能力があることを証明して採用されたのではなく、仮採用後に当社自慢の軍隊的自己啓発プログラム「従業員向け仕様 2.0」(仮)の酷烈なる洗礼を受け、それを規定以上の高いポイントで耐え忍ぶことができたことにより目出度く本採用にいたり、その後社長の鶴のひと声によって「文書係り」に配属されたらしいことが分かった。

そのあとの話からは、創業者である社長が広場恐怖症だか何かそれに類する病気のために会社には出社してこないので、コトあるたんびに従業員各員が都度電話で社長宅に連絡・確認をとらなくてはならない社内システムであるらしい事情もうかがわれてくるのであった。

軍隊的自己啓発プログラムを開発する会社を立ち上げたワンマン体質の男が、じつは広場恐怖症らしき病気を抱えているという“衝撃の”事実からは、なんともいえない、それこそ名状し難い何かを感じざるを得ない俺であったのだが、その印象は、「社長は我々のような凡人など到底及びもつかない本物の『天才』なのですよ・・」と、氏が目をギラギラさせて二度ほど呟いたことによって深められているのだ。

怖ろしいことだが、いまだに吾が記憶から彼のギラギラしたマナコを払拭できないでいる俺は、その「軍隊的な自己啓発プログラム」を連想させることどもに触れるたびに、広場恐怖症だか何かそれに類する病気のために会社には出社せず、何処にあるのかも知られていない謎の自宅に篭っている創業者=社長のもとへ、H氏が黒電話を通じて「ヒソヒソ…ヒソヒソ…ヒソヒソ…」と通話する姿を、あたかも仙花紙ミステリー/猟奇本の挿絵・表紙画の如き不穏なイメージとして思い描いてしまうのである……。