謹んでご冥福をお祈りしたします。


洗脳原論ディベートで超論理思考を手に入れる 超人脳の作り方
春秋社→べちとま大先生の脱洗脳本への連想ゲームが働いて、かれがレギュラー出演しているTV番組を観ていたのですが、ソファイア大学の Frank Scott Howel 先生が2012年に逝去されていたことを知ることになりました。わたくしにとっては、クリスマスイヴ早々に知ることとなった大きなニュースです。

もちろん先生との個人的な思い出などは皆無なのですが、吾ら Debateチームの先輩が、栄えある Sophia 杯に於いて、当時無敵といってもよいほどの強さを誇っていた某大(理工学部)に勝利したことがあり、そのときのジャッジをつとめられたのが、Frank Scott Howel 先生だったのです。

五流私大チームが名だたる大会で優勝候補常連チームに勝つことなど、まあ、滅多なことではありません(10〜20年に一度くらいならあるかも)。そのときの勝因もリサーチ力やストラテジーのたまものなのではなく、相手チームが発音を無視した完全なる日本人英語で試合に臨んでいたからです。これは大学のへんさちなどにかかわりなく理工系チームにはとみにみられる傾向であったかと記憶しています。

私は別試合のヘルパーを担当していたので、先輩の当該試合を観戦することはできませんでしたが、先生は相手チームのスピーチの間、「言ってることが聴き取れないんだけど・・・」みたいな表情/仕草を何度も示されていたそうです。

なので吾々も「やっぱりそんなところだよなーハハハ」となかば自嘲ムードにあって、無邪気に万歳することなどなかったのですが、「さすがに神父さんだ。神のもとでは Debater は皆平等に扱われるのだ」と、大きな感銘を受けた次第なのでありました。というのも、「なに言ってるのかよく理解できないが全国的な強豪チームなのだから、まっとうなエヴィデンスを提示しているにちがいなかろう。ナニ、準備の持ち時間が消費されている間にでも、主要なエビデンスを確認しとけばいいや・・・」的な対応で処理されても、おそらく誰からも問題視されることはなかったであろうからです(そもそも外からはジャッジの内面などうかがえるはずもないですし)。

本音をいえば、当時の Debater の殆どはそうした料簡を共有していたかと思われます。なんとなればそのような寛大なる対応によって真の実力者こそがトーナメント上位に進出する運びとなるので、周囲におよぼす教育的効果の面からも正当化されうる話であろうからであります。ただし、もしそれが正当化されうるのであれば、はじめから日本語でディベートをした方が合理的ということになり、英語を使う必要はなくなります。

番組のなかでべちとま大先生は、Frank Scott Howel 先生と過去にわだかまりがあったことについて云っておられ、それはべちとま先生が Debate においてはスピーチによる表現力などは二の次の Argument 最重視のフィロソフィーを持っていた(いる?)のに対して、Frank Scott Howel 先生は、スピーチ表現の重要性を強調していたからなのだそうです。

べちとま大先生に対しては、私が一年坊主のときに一度きりの思い出があります。愚輩が初めて大きな試合のヘルパーをつとめたのが、やはり Sophia 杯でありまして、その初めての試合で迎えられたのがたしか当時まだ三菱地所に在職されていたべちとま氏だったのです。だれが見ても雲上人だと分かるエリートオーラ絶賛大放出中のべちとま氏の直ぐ後ろに着席して居た私は、緊張のあまり、「...our honorable judge is mr.Tom Abe-chi」 とアナウンスしてしまったのです。

観戦(ディスパッチ)に来ていた他大学の先輩が「え?」と噴き出し、べちとま氏の肩がほんの少し“ピクリ”と微動したのがみてとられたので、あわてて正しく言い直したという失態を演じてしまいましたが、いまとなってはたいへん微笑ましい思い出となっております(自分で言うな)。


[追記]

  • もう三十年も昔のことなのでおかしなところがありました。ジャッジが試合中のプレパレーションタイムに出場チームのブリーフやエヴィデンスを確認・点検することは、すくなくともわたし自身は見かけることはありませんでした。試合後に「ちょっと1NRのエヴィみせて、2NegaConと一緒にね」などと確認される姿を目撃することはありました。なので、ジャッジが試合中のプレパタイムに何度も相手チームのブリーフやエヴィデンスを確認したとすると、とくにライバル校同士の熾烈な試合においては、斯様なる行為に及んだことの理由について、ジャッジが学生から説明を要求される可能性は充分あったかとは思われます。
  • わたくしは大会でジャッジを任される様な立派な人間からは遠く離れた存在でしたので、ジャッジのコミットメント/介入に係わる規定については全く存じません。興味がある方、あるいは、諸所疑問に思った方はJDAとかにお問い合わせください。
  • 日本の教育ディベート界の状況は三十年前と較べて大きく変化しているようです。ご周知の通り現在では日本語ディベートも盛んで、高校の教育現場にも(中学教育にすら?)取り入れられているようです。
  • 上エントリーでは「理工系チームにはとみにみられる傾向であったかと記憶しています。」と述べましたが、大学生になってから英語会話学習を開始した学生の“流暢さ”などというものはそれこそおっつかっつであり、あたりまえな話ではありますが、理工系チームであっても帰国子女学生の相対的な実力(レベル)についてはあえて触れるまでもありません。
  • じつは母校の 出身サークルのレベルですが、現在、五十七年にわたる歴史の中でベストスリーに入るであろう優秀な世代によって運営されている模様で、昨年などは某 Debate 大会において(同レベルの)他大学 Debater とのペア組が準優勝を果たしていました。さいきんでは、某名門私大チームや、あと、なんとT大チームのメンバーともペアを組んで大会に出場することもあるみたいです。現在のDebate セクションの総員数が、わたしの現役時代のサークル総員数を上回っているのですから、元メンバーとして(かなりの年長世代、というより、ほとんど親の世代ではありますが)ほんとうに嬉しい限りです。第二次安倍内閣以降すこしはマシになったとはいえ、依然就職難の時代にあるので学生諸君はそれこそ必死に勉強しているのだと思われます。「自分、これほど勉強することに耐えられるのならば、受験勉強で頑張っておけばよかったな……」と苦い思いを味わうこともあるでしょうが、それでもヤケにならず Debate 活動を継続することがどれだけ大変なことか、バブル経済期辛酸なめ世代のおじさんは分かっています。辛酸なめ世代というのは、「こんなコトやってられね〜ずら」と文句いいながら、どんどん他メンバーが抜けていく時代に意地でも辞めなかった世代の謂いです。
  • これ以上追記すると、呪いモードにスイッチが入ってしまいそうなので、ここらへんでやめておきます。