小学校低学年のときに抱いていた「世の中には悪の中枢が隠然と存在する」という物語は、仮面ライダースペクトルマンレインボーマンコンドールマンなどの特撮モノの影響だけでなく、いまとなっては思い返されることも希なロッキード事件に関わるひっきりなしの報道によって堅固に根をはっていたと言えそうである。当時のおれの周辺では田中角栄小佐野賢治/A.C.コーチャン氏らは、あたかも裏で日本を牛耳る巨悪の象徴としてみなされていたのだ。
そして、ちょっとひねった仕方ではあるが、そんなお子様脳を解毒してくれたのが、雁屋哲原作/池上遼一『男組』であったことも言い添えておきたい。

雁屋哲池上遼一コンビはそれまでの日本漫画界における“悪”の秀逸な表現者だったことに異論はなかろうかと思うが、『男組』においてはその気合のいれようが半端なかった。なんたって、悪漢高校生・神竜剛次生徒が支配する学園には、彼を取り巻く悪辣生徒のために“バー”がまでもが設えてあるのだから。
それは生徒用バーバー(理髪店)などではなく、イタリイ風に発音すればバールであり、本那においてはオトナたちのアフターファイブに酒類等を供する有料サロンの謂いであり、あまつさえ神竜バーの壁面には女性フルヌード写真のパネルまでもが飾られていたのだ!
「とんだ悪党どもだ!」
「こんな不良生徒は高校などに通う必要はない!」
「きついお灸をすえろ!」

良識人のヒステリックな非難がとびかう光景を陰でニヤニヤしながら眺めやる雁屋哲池上遼一コンビは、それら単純脳読者の神経を一層逆撫でにせんとするあまり、遂には身の丈を自由に調整できる双子の美女のごとき妖人キャラをも創出していく……。

そのうち小学生のおれは、はたと疑問にぶちあたる。

  • 政治家の弱みをつかんで日本を支配していると簡単に言うが、現実の世界では児玉誉士夫邸セスナ機カミカゼアタック事件のように(なにも高校生が立ち上がらずとも)悪玉たちは命を狙われるのが常であり、そもそも影の総理クラスともなれば内なる敵をもあまた抱えることになるだろうし、たった一人で牢固な支配体制を築き守護し続けるのはどうしたって無理な話ではなかろうか?
  • 影の総理が戦中から戦後にかけて巨大な悪事を働き現在のような地位を築いた経緯は分かるが、現行では具体的にどのような悪を為しているのだろうか? たしかに国民をブタとみなすとはとんでもなく傲慢な料簡の持ち主であるし、恐怖と金で人々を支配するというのも論外なことではあるが……。
  • たとえば、畜妾屋敷において最強の遺伝子を残す為に複数の妾・妾腹の子供らに殺し合いをさせていたこと、あるいは、過去に働いた己の悪事をあばこうとする人間(主人公)らを殺害しようとすることはもちろん犯罪ではあるが、日本を支配する闇の存在者の犯罪リストがその程度というのは、ある意味「羊頭狗肉」ともいうべきではないのか?
  • けっきょくのところ雁屋哲池上遼一コンビは、「世の中には悪の中枢が隠然と存在する」というわれわれの固定観念を巧みに利用しているということではなかろうか? つまり、おれたち読者の頭は雁屋哲池上遼一コンビに支配されていると言ってもよいのではないのか?
  • 然り。影の支配者が存在するならばソレは雁屋哲池上遼一である。

多少『少年H』のごとき“記憶の改変”がまじっているのかもしれぬが、ともかく『男組』を読んでいたとある日の“悟達”を要約すると上のようになるのだ。

とはいえ、おれは『男組』を本朝劇画の大傑作だと思っている。
とくにラストシーンに引用される史記』の「荊軻、さらには、ワルシャワ労働歌」の劇的効果は文句なしであり、感極まった学童のおれは、居住まいを正し、無手勝流に抑揚をつけながら独り朗読したものだった。

※『男組』については、ずっとまともに紹介されているブログがありました。ブログ主さんがワ労働歌を引用してくださっています。
「私的漫画世界 光と闇・二人の男の信念をかけた闘い」