中学時代部活のキャプテンだったA君は実家が商家だった。彼が凄いのは小学校二年生のときすでに家業を手伝っていて、商業用自転車に跨って配達までやっていたことだ。一月の寒風吹きすさぶなかでも長袖シャツ+トレーナーと半ズボン姿で元気よく町内を巡る彼の姿を目にしたものだった。四十年前とはいえPTAのなかにはさすがにそれを問題視する父兄もいたらしいが「家庭の事情」ということで学校側からはとくにお咎めはなかったようだ。
A君は大人びていて運動神経抜群、将棋も強く、神社のお祭りではテキヤのおじさんとすぐに仲良くなり、また、小学生なのにルアーでシーバスを狙って川崎の浮島まで夜釣り(父親同伴)に出かけるなど、なにをやるにも本格派であった。ちなみに当時の常識からすると子供が海へ夜釣りに出かけるというのは親同伴であってもなかなか無いこと(あまり褒められたことではないこと)であり、ルアー釣りも当時は道具を揃えるのにずっとお金がかかったので私の周辺で嗜んでいたのは彼だけであった。

しかしそんなことよりもなによりも、わたしにとってA君は、中学校三年生で誰よりも早くポルノ映画館(蒲田か高津か新丸子)に出向き三本立てを鑑賞した漢として、同窓生のなかで特別な位置を占めているのである。彼は、来場者に対する年齢確認のゆるい上映館がどこにあるかの情報を、お客さんのおあにいさん達から仕入れたのだそうだ。