日本列島列ノ島

おれが大学生の頃(バブル経済期)にも散々繰返されていた「国際化」というスローガンはいまだに吾国大日本の課題として喧伝されていて、それは往々にして英語運用能力に置換されている場合があるようだが、そこにいく前に重視されたいことは――なんだか道徳のお説教みたいな話になっちゃうのではあるけれど――「忙しくともいちどは相手の立場になって考えてみよ」ということじゃないかとも思うのだが……。

昨年のこと。ところは隣町の電源カフェ。めずらしくレジ待ちの列が続いているのでその原因を見極めようとカウンターを注視すると、赤鬼系の白人さんが店員相手になにか一所懸命にもの申している様子。雰囲気として伝わってくるのは、彼はまだ日本に馴染んでいないということ。

であるので、白人さんのすぐうしろの女性が彼の意をくみとろうとしているのがうかがえた。しかるにどうにも意図がつかめないらしい。彼はその女性をコーヒー+ケーキセットのポスターの前に連れ出してなにやら説明する。女性は店員さんに「値段がおかしいとおっしゃってるみたいです。380円と書いてあるのになぜ500円なのかと……」と伝える。

店員さんは、「いえーこちらのご注文ですと500円になりますがー」とおずおずしながら申し伝える。白人さん、「それはおかしいじゃないか。あなたのいうとおりだとすると、あのポスターの表示は一体何なんなんだ?」とばかりに苛立ちはじめる。

店員さんは、「あのー、お客様のご注文は、ブレンドコーヒーとチーズケーキでよろうしいですか?」と慎重に確認をとる。その言葉は日本語だが、彼は簡単なジャパニーズは聴解できるようで、頭をニ三度たてにふる。

店員さんは、「でしたら500円になります」と同じことを伝える。彼は「いや払いたくないってゴネてるわけじゃないんだよ。ただあの表示は一体なんなんだと、それだけが知りたいんだよ」と苦笑しながらおっしゃる。

店員さんは英語がいっさいダメみたいで、「あのー、ご注文を変えられますか?」と躊躇する。彼は「いやだからさ……」と苛立ちを深くする。

ここまで結構時間が経っているので(おれもイラついてきて)余計なお世界を承知のうえこの椿事に介入せんと決心を固めたのだが、丁度そのとき、さっきの女性が「あらチーズケーキセットは500円なのね。ロールケーキセットが380円でそこだけが大書きされているじゃないの」と気がついた。そして白人さんに、小さくちいさく表示された500円マークを指差した。彼は「なーんだそうなのか」という風情でひとまず納得された(じつはおれもそのことを初めて知った)。

店員さんは、「では500円になります」と同じ旨を伝える。彼はおそらく「やれやれとんだ出費になっちゃったよー。おれ貧乏なのに」みたいな、ボヤキのようなジョークのような言葉を呟きながらコイン入れから500円をとりだそうとする。

ところがそれを耳にした店員さんは、なにか不穏な気配を過剰に察してしまったのだろうか、「○○さんすみません、お客様がご不満のようです」と奥にいる店員に声をかけてしまう。直ちにキリとした表情のベテランらしき女性が馳せ参じ「お客様、どうされましたでしょうか?」と恭しくのたまう。ぎょっとした彼は「もういいよ」という素振りをするのであったが、ベテラン店員は「お客様、どうのような問題がございましたでしょうか?」と、あくまで彼女の職務を遂行しようとするのである(この状況、このままだと何回ループしていくのだろうか……と俺は思うた)。

そして、それを受けて、ついに彼がとった行動とは、まさに、_| ̄|○ なのであった。立ったままだが、カウンターに置いた両手に体重をかけて、いかにも「もうウンザリ、俺もうウンザリ」といった心象風景を、方百里に投影されはじめたのである。

彼の後ろに並んでいたのは 7〜8人で、みなさんスマホを眺めていたり、ただボーっとしていたり、とにかく傍観の態でいるのであったが、社会不適応系KYな俺でも、そんな吾々日本人たちの能面のごとき表情を眺めやる彼の気持がどんどん殺伐化して表情も一層赤鬼と化していくのが見て取れたので、咄嗟に件のブルシッなポスターをちょっと大袈裟な仕草で確認してみせ、「はハぁ、こんなインチキポスターじゃあ誤解するのも無理ないよなあ。日本人の俺でも間違うよコレじゃあ」という体で、これまたちょっと大袈裟な仕草で頷いてみせたりした。

赤鬼さんはそんな俺の小芝居をしっかり観ておられて、「フっ……ようやくわかってくれた? おれの苦労?」みたいな微妙な表情をしてみせ、今度は店員さんにむかって「OKOK、ダイジョーブ」と快活に100円玉5枚を銭受けトレイに置いて、事態を急速に終結させるのであった。


まとめ:明日の日本のために

  • 店員さんはポスターの表示が客に誤解を与える代物であることが見えていなかった。社員から指摘がなくともそれくらいのことは自分で気づいてをるべきであろう。もし、あえてお客を戸惑わせ、「なんだ知らなかった。でももうお姉さんにケーキをショーケースからとりだしてもらっちゃったから、まあ、これでよしとするか」のような、お客の妥協心を当てにするような商法であるならば、そのようなお店はブラック企業と名指されても文句はいえないだろう。
  • 異邦人が意思疎通のトラブルにある際、すぐ近くにをる地域住民らが吾関せずの立場を貫かんとすればその異邦人はどう感じるのか、列の人間は鈍感であった。インドや他のアジア諸国の人々は、道を聞かれる際、たとえそれを知らなくても、親切心からの知ったかぶりで答えてしまうことがままあるそうだが、そこまでサービス過剰とならなくとも、「私たちは決してあなたの存在を無視してはいませんよ」というサインというかムードというか、言語が通じなくともそんな気遣いがさりげなく表出される国民性が備わっているべきではなかろうか。