こないだ読了した、鳥飼玖美子先生の著作『戦後史の中の英語と私』(みすず書房)から引用させていただきます。

pp.244-245

江利川の応えは簡潔明瞭であった――「政府の政策がダブル・スタンダードだったのです」。つまり、日本政府は建前と本音の二重基準を使い分けていたのだという。

当時の日本政府は英米への敵愾心を煽るため、「鬼畜米英」「英語は敵性語」というプロパガンダを広めていった。それは法律でも何でもなく、単に「そういう空気」だったに過ぎない。しかしメディアを通して、その言説は勢いを得て社会に広がり、あたかも国家が決めたことであるかのような力を得て一般市民の意識を縛り、英語を使用するのは「非国民」という雰囲気が醸成されていった。新聞などで英語の使用が自粛され、駅の表示から英語やローマ字表記が消え、野球用語が日本語化されたというのは、すべて政府の建前としてのプロパガンダ効果であった。

しかし日本政府の本音は、英語の重要性を十二分に認識しており、戦後社会を担うことになるエリートに対しては、広い視野で世界を学ばせようと、きちんと英語教育を実施していた。エリート養成の場である江田島海軍兵学校は英語教育に熱心で、最後の海軍大将であった井上成美校長の時代(一九四二着任)には、英和辞書は使わせず、海外からオックスフォード英英辞典を取り寄せて全員に配布、英語で授業を行っていた。エリート予備軍ともいえる各県の中学(現在は県立高校)でも、戦後の将来を見越して充実した英語教育が展開されていた。これは工業学校や商業学校、陸海軍士官学校も同様であった。