チェブラーシカを観ていたら涙が溢れそうになって困った。
わたしは斯様に無垢なキャラクターに接するとそれらがとてつもなく残酷な運命を享受するサマを連想しがちなのです。
今日は、チェブラーシカナチス強制収容所に送り込まれるシーンが浮かんできやがった。
そこから、母親ともども全裸にされた幼児が肌とのふれあいをくすぐたがって「きゃっきゃっ」笑いながらガス室に送り込まれたという、あるユダヤ人(orナチス)の証言を思い出してしまった
こうなるともうダメだ。悪想はとめどもない。
こうした事態になった場合どうしたらいいかというと、浮かんできてしまった残酷なシーンを、これでもかこれでもかというくらい味わうこと。大概の場合、数分もすればそんなオブセッションは去っていく。
この方法をわたしは、V.E.フランクルから学んだ――「逆説志向」と称される、神経症を退治するひとつの試みなのだ。
それでもダメなときは、殺す側も殺される側も同じように愛らしい「赤ん坊」に見立てるのである。神の視点に立つということだ。この方法は、水木しげる先生からインスピレーションを得た*1

妄想に取り憑かれる人々

妄想に取り憑かれる人々

*1:いまのところ、フランクル、水木の順番が効果的のようだ