きょうも寒い一日だった。とはいえ陽の残照に映える午後六時の巷を冬場の格好で歩くことに妙趣を得た。

そもそも古から二十四節気・七十二候という一年の分け方があるわけだが、時候というものはたとへ東京の都心部においてもそれほど重複するものではないことをじっくり観察し味わうことが出来たのは、自転車通学していた高校時代である。

たとえば、雨上りの朝空を三層の雲が流れて各層の空隙にのぞく蒼天が見事な伝統色系のあをいろに染まり、かつ、色合いが相異なったりしているのを仰ぎ見ながらペダルをこいでいたことを、とある初秋の日記につけたことを覚えている。朝は晴れていても下校時に雨降りだと困るので当時は天気に敏感であったのだ。

とはいえ、朝からの雨降りでも夏場なら全身ずぶ濡れになるのも構わずに家から五粁離れた学校へと向かったものだ。午前の授業が終わる頃にはすっかり乾いていたから。

陽の強弱、空模様、気温、湿度、大気のにおい、草木虫......マトリクスの項目を細かにすればするほど今日一日に出会う時候の風景は殆ど反復することは無いのだが、日々の暮らしに追われるうちに四季への感受性も随分と鈍磨し、日々出会う風景が随分とモノトーンな心象に塗りつぶされていることに気づく。