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マクドナルドのマックポークって一回食べたきりで敬遠していたんだけど久々に食ったら美味いと思った。

Macは画一化の悪しき象徴として描かれることもあるが、厳寒の深夜、住所不定(おそらく日雇い派遣)の人々に軒を貸しているのを見ると「悪しき」という決めつけが可也拙速な観念であることを痛感する。「馬鹿なこというな共犯的だろ」というレフティな突っ込みは、当事者にとってはくそにもならんだろう。

自動販売機についてもそうだな。

■たしか、喫茶店の果たしている役割がテーマの書籍があったね。

■そういえば、掃除のおばさんがタバコを吸っている高校生カップルからタバコを取り上げていた。最近あまり見ることの無い光景だ。カップルは「るっせーんだよ、くそ婆ぁああ」という悪態はつかず、「はァァァ?(皮肉笑) まあー、高校生っすけど」というだけで、おばさんがタバコを取り上げるのを黙って見ているという展開であった。

■以前、立派なビジネスマンである友人は、電話ボックスで用を終えると、先ほど投げ捨てた吸殻を持って帰るようにと知らないお婆さんに窘められたそうだ。奴はその話を思い出しながら「くそ婆め!」と罵っていたが、餓鬼じゃあるまいし、おまえがくそサラリーマンなんじゃないのかと思うた。

■昨日、NHKの番組を見ながらIT業界著名人がUstreamに登場していろいろ雑談するという企画を観た。携帯のワンセグNHKを受信し、PCでUstreamをキャッチしてみた(ぶちぶち状態だったので「キャッチ」するてふ感じだった)。結果、一点集中型の脳みそ構造になっている俺には何も頭に残らなかった。

■TVで出演者らのだらだらした感じ・進行のスカスカした感じを初めて体験したのが「オールナイトフジ」(昭和57年)をはじめとする当時の深夜番組であることは確かだ。あれで多少のダラダラ・スカスカ感は最早フツーの感じになった。

■さらなるダラダラ・スカスカ感を得たのが「スカパー」で放映された日韓Wカップサッカー大会のクリッピング番組だった。驚いたのはコメンテイタ席に素人が座っていたことだ。彼はのちに制作会社の社員になったそうだが、その無口な青年の存在意義は最後まで露ほどもわからぬままだった。あのスカスカ感はまさに「スカパー」だなと思うた。